2007年11月11日日曜日

日本庭園ランキング

こういうランキングが世界には存在していることが驚きである。
でも外人は意外と日本庭園好きだしね。
シアトルにもシドニーにもシンガポールにもあった記憶がある。
中国人は街を形成するけど、日本人は庭だけかい、って思った記憶があるので。
日本国内ではランキング形式で比較はできないでしょうね、いろんな柵がありそうで。
  #読めます?しがらみ。。

なので海外の日本庭園専門誌のランキングだそうな。
Journal of Japanese Gardening..
  #がーでにんぐ、なのね。。

ちなみに、最新のランキングはこんな感じ。
《ランキング上位5位》
1位 足立美術館(島根県)
2位 桂離宮(京都府)
3位 山本亭(東京都)
4位 栗林公園(香川県)
5位 無鄰菴(京都府

びっくりですね。
1位は知らないところであるうえに、島根です。
しかも、設立の歴史が浅い。。というところに激しく突っ込みを入れたくなる。
成金趣味かい!と突っ込んでしまうけど、庭園なんぞ、そもそも成金趣味でしかないわけだし。
でもそれなりに政治的な価値もあったわけで、なぞと弁護したって、いまでも観光収入という価値があるのでおんなじことのように思われる。
アメリカ人的にはその見た目・今の時点での価値だけでよいのでしょうけどやっぱり日本人にとってはそこの歴史なんかを考慮に入れたくなりますね。歴史が浅いとありがたみを感じない、そもそも庭に有難みがいるのかと問われれば悩ましいけど、有難みがほしい、気がする。
ほとんど、他人の庭園と比較することに優先をおいていないのだとは思うのだけど、こういう価値観もありうるってことでとりあえずおしらせまで。。。
これで観光収入には影響あると思うし、島根だったりすると、大事だったりするんだろうなぁ、この話題性。Webでもずいぶん宣伝に使っているようだし。

2007年11月10日土曜日

リストラと才能の流出

また大規模なリストラですね。
セゾングループはやっぱり時代の寵児でしかなく、いわゆる旧財閥系って残っているあたりはすごいのだなぁと感心する次第。
なかなか企業は残らないのだものね。
そこに価値はないといわれればもっともだけど、いわゆる外資系の企業についてみていると、GEなんて、まさしくそうだけど、換骨奪胎というか、看板だけが同じというかブランドのみしか残らない。
それって会社なのだろうかと、会社の本質とは何かと思うわね。
約400のお店のうち、4分の1の店長に異動が生じ、そのうち90%は早期退職。。
ここのノウハウはどこに言っちゃうんだろうか?
そんなものには価値がないのかもしれない。それは業務を知らないのでなんともいえないが、企業文化は継承されていかないし、ウォルマートに必要な西友とは何なのだろう?
それは、ブランド、企業名としての西友ではあるけど、本質・実態としての西友はあるんでしょうか?
再び問いますが、企業の本質とは何なんでしょうね?
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西友 早期退職に488人 90店の店長も応募

米ウォルマート・ストアーズ傘下の大手スーパー西友は2日、本体と子会社5社の管理部門を中心に募集した早期退職について、予定より5日早い10月26日時点で募集人員の450人を上回る488人が応募したため、募集を締め切ったと発表した。応募した社員は原則として11月15日に退社する。 488人の構成は本体が約65%、子会社5社が約35%。また、計394店のうち約90店の店長も早期退職に応募したことに伴い、100店超の店長の異動も実施した。今回のリストラにより、連結ベースで退職加算金など約39億円の特別損失が発生する見込みだが、2007年12月期の業績予想に修正はないとしている。

(株)産経デジタル

2007年11月9日金曜日

INAXメンテナンス事件

いやはや、厳しいんじゃないかな。。
でも、相当厳しいことを要求したんだろうなぁ。
社員は残業しないけど、パートナさんは24h営業とか。
金なら払うって感じですな。
賃金はインプットなくてもアウトプットが要求されるけど、こちらはインプットドリブンでアウトプットを要求すればよいから、都合も良いわね。
ただ、委託契約とか、委任契約とか、指揮命令系統を完全に否定することは困難。
指揮命令なのか、依頼なのかの線は法律では設定されない。
だからこそパワハラなんておきるのだけど。
その辺が厳しすぎると、こうなるんだろうなぁ。
でも、某都市名と企業名が同一化している世界最大利益会社では、
会社の前にデスマーチができているし、なんだか、顧客の組織に組み込まれているかのように錯覚してしまうほどの上下関係だし、常駐を要求するし。
これは勤務場所の指定なので、労務契約に近い気がするな。
断れない要求とかあるので、そのへんは下記要件には該当したりして。
組合に駆け込んで、訴えでないとだめかしらね。。>>諸君!
でも、個人がお金をもらう契約でないと該当しないか。
会社の仕事ではあんまり参考にならないかも。
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厚生労働省:INAXメンテナンス事件

平成19年11月1日
中央労働委員会事務局
第一部会担当審査総括室
室長  西野 幸雄
Tel 03-5403-2157
Fax 03-5403-2250
INAXメンテナンス不当労働行為再審査事件(中労委平成18年(不再)第47号)命令書交付について
中央労働委員会第一部会(部会長 渡辺章)は、平成19年10月31日、標記事件に係る命令書を関係当事者に交付したので、お知らせします。
命令の概要は、次のとおりです。
I 当事者
1 再審査申立人:  株式会社INAXメンテナンス        (愛知県常滑市)
従業員 正社員約200名(平成18年1月18日現在)
2 再審査被申立人:全日本建設交運輸一般労働組合大阪府本部   (大阪市淀川区)
組合員  約1,200名(平成18年1月18日現在)
全日本建設交運輸一般労働組合建設一般合同支部(大阪市城東区)
組合員  約  100名(平成18年1月18日現在)
II 事案の概要
1 本件は、株式会社INAXメンテナンス(会社)が、会社と個人業務委託契約を締結して親会社である株式会社INAXの製品である住宅設備機器の修理等の業務に従事するCE(カスタマーエンジニア)が加入する全日本建設交運一般労働組合大阪府本部(本部)、全日本建設交運一般労働組合建設一般合同支部(支部)及び全日本建設交運一般労働組合建設一般合同支部INAXメンテナンス近畿分会(以下、本部、支部及び分会を併せて「組合」という。)からの団交申入れに対し、CEは個人事業主であり労組法上の労働者に当たらないとしてこれに応じなかったことが不当労働行為であるとして、本部及び支部が大阪府労委に救済を申し立てた事件である。
2 大阪府労委は、CEは会社との関係において労組法上の労働者と認めるのが相当であり、会社が組合との団交に応じなかったことは同法第7条第2号に該当する不当労働行為であるとして、会社に対し、(1)団交応諾、(2)文書手交を命じたところ、会社はこれを不服として、上記初審命令の取消し及び本部及び支部の救済申立ての棄却を求めて再審査を申し立てたものである。
III 命令の概要
1 主文
本件再審査申立てを棄却する。
2 判断の要旨
(1) CEの労組法上の労働者性について
本件業務委託契約におけるCEの業務実態をみると、(1)CEは、会社の事業遂行に恒常的かつ不可欠な労働力として会社組織に組み込まれていること、(2)CEが製品の修理等の業務に従事する際の契約内容は会社が一方的に決定し、業務遂行の具体的方法についても会社が業務マニュアル等で指定する方法によって行うことが義務付けられており、(3)CEは、業務遂行の日時、場所、方法等につき会社の指揮監督下に置かれ、(4)CEが会社からの業務依頼を断ることは事実上困難であり、CEは会社との間で強い専属的拘束関係にあり、(5)CEの受ける報酬はその計算、決定の構造にかんがみ、いわゆる労務対価性が肯認されることが認められる。
これらの点を総合して判断すると、CEは、会社の基本的かつ具体的な指図によって仕事をし、そのために提供した役務につき対価が支払われているといえるのであり、CEは、会社との関係において、労組法上の労働者であると判断される。
(2) 不当労働行為の成否について
上記判断のとおり、CEは、会社との関係で、労組法上の労働者であると判断されるのであるから、CEが加入する組合は、労組法上の労働組合であることは明らかである。
本件では、会社が組合からの団交申入れに応じなかったことについては争いはない。そして、組合が、会社に団交を求めた要求内容は、CEが業務に従事する際の労働条件やCEと会社の団体的労使関係の運営に関する事項であって、会社に処分可能なものであるから、義務的団交事項であると認められる。
よって、会社が、組合からの要求書の内容を議題とする団交に応じなかったことは、正当な理由なく組合との団交を拒否するものであるから、このような会社の対応を、労組法第7条第2号に該当する不当労働行為であるとした初審判断は相当である。
〔参 考〕
1 本件審査の概要
初審救済申立日 平成17年1月27日(大阪府労委平成17年(不)第2号)
初審命令交付日 平成18年7月24日
再審査申立日 平成18年8月 2日(使)
2 初審命令主文要旨
上記IIの2のとおり

厚生労働省
CE
カスタマーエンジニア
団体交渉
個人事業主

2007年11月8日木曜日

言語聴覚士

たいした話ではないのですが、職業の特徴説明を読んでふかーく興味を覚えたので。
紹介だけ見た限りでは、すごくお役立ちそうな職業で、こーゆー職業のお世話になるべき人の顔が走馬灯状態でいろいろ思い浮かんでしまったのですが、残念ながら、そういう意味ではないのね。。
言葉によるコミュニケーションに問題がある人、、、いるからなぁ、たくさん。
特にメールの普及で増えている気はします。
が、言語聴覚士は、その手合いを救ってくれる人たちではありませんでした(笑)
救ってもらえるかと思ったのに。

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キャリアマトリックス - 職業情報(言語聴覚士)

どんな職業か
人間はことばによってお互いの気持ちや考えを伝え合い、経験や知識を共有して生活をしているが、言語聴覚士はことばによるコミュニケーションに問題がある人に専門的サービスを提供し、自分らしい生活を構築できるよう支援する専門職である。
ことばによるコミュニケーションの問題は脳卒中後の失語症、聴覚障害、ことばの発達の遅れ、声や発音の障害など多岐に渡り、小児から高齢者まで幅広く現れる。言語聴覚士は問題の本質や発現メカニズムを明らかにし、対処法を見出すために検査・評価を実施し、必要に応じて訓練、指導、助言、その他の援助を行う。これらの活動は医師・歯科医師・看護師・理学療法士・作業療法士などの医療専門職、ケースワーカー・介護福祉士・介護支援専門員などの保健・福祉専門職、教師、心理専門職などと連携し、チームの一員として行う。
類似職業
>>視能訓練士(A107)
>>作業療法士(A103)

就くには
言語聴覚士になるためには国家試験に合格しなければならない。高校卒業者、またはこれから卒業しようとしている場合、文部科学大臣が指定した大学(4年制大学、3年制短期大学)、または厚生労働大臣が指定した言語聴覚士養成所(3年ないし4年制の専門学校)に入学し、必要な知識および技能を修得して卒業することが国家試験の受験資格を得る主要なルートである。4年制大学卒業者の場合は、2年制の専門学校において必要な知識および技能を習得して卒業することが必要である。この他、外国の大学などで言語聴覚士の業務に関する学業を修めた場合は、厚生労働大臣に書類を提出して認定を受けることにより、受験資格を得ることができる。大学(短期大学を除く)において厚生労働大臣が指定する科目を修めて卒業すれば、書類審査を経て受験資格を得ることができる。
言語聴覚士の養成教育では、人間の言語・コミュニケーション行動を支える医学、心理学、言語学、音声学、音響学や社会科学などを基礎・専門基礎科目として学び、専門科目としては言語聴覚障害学総論、失語・高次脳機能障害学、言語発達障害学、発声発語・嚥下障害学、聴覚障害学などを学ぶ。さらに、病院、リハビリテーションセンター、小児の療育施設などで臨床実習を受け、言語聴覚障害がある人を支援するために必要な知識・技術・倫理を習得する。

言語聴覚士には、知識や技術にとどまらず、表現したくてもできにくい人々の思いを受け止め、上手に引き出す力が求められる。

関連資格
言語聴覚士国家試験

労働条件の特徴
言語聴覚士が働く主な職場は全国にわたっており、医療施設(リハビリテーション病院、総合病院、リハビリテーションセンターなど)、福祉施設(肢体不自由児施設、難聴幼児通園施設、福祉センターなど)、保健所、介護老人保健施設・特別養護老人ホーム、研究機関、教育機関(ことばの教室など)などで、約7割が医療分野で働いている。有資格者の約8割が女性で、若い人の割合が高い。発症後早期(急性気)から回復期、維持期という幅広い時期に言語聴覚士が適切にかかわり、質の高いサービスを提供することが求められており、医療分野での対象となる人に適正な訓練や検査を行うだけでも10000人の言語聴覚士を配置する必要があるといわれるなど、医療・福祉・保健施設などでの需要は急速に増加している。地域による差はあるが、言語聴覚士のサービスを必要とする人の数に対してサービス提供の場は少なく、言語聴覚士が適正に配置されているとは言い難い状況である。
2004年の医療保健診療報酬改定により、言語聴覚療法においても発症後、早期からリハビリテーションを行うと方向が示された。また訪問リバビリテーションも認められるようになり、地域リハビリテーションにおいても言語聴覚療法を必要とする人への本格的なサービス提供が可能となった。
統計情報の概要
就業者数(計)=478257人
国勢調査<その他の保健医療従事者>より

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2007年11月7日水曜日

Gmailは企業で使えるか?

個人的にはすごく賛成。
こんなもの自社で抱える必要はないのである。
でもセキュリティと情報漏えいを考えるとしり込みするわね。
たとえ実態の漏えいは社内関係者の問題でメールシステムの問題じゃなくても。
堅牢なメールシステムを本気で作ると結構大変なので、検討する価値はあると思うけど。
アウトソースしたいとか、ASPモデルで、なんちゅう会社にはぜひとも勧めたい。
でも、これはこれで、ポータルとか情報基盤としての連携性は薄まるので。
そこまでぐぐるかい?ってところが思い切れるかですな。

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Gmailは企業で使えるか

第1回 企業向けに多機能の有料版,浸透はこれから:ITpro

 米グーグルが,コンシューマ向けのWebメール・サービスとして浸透した「Gmail」の企業向けバージョンを提供している。「Google Apps」というアプリケーション群サービスの一部として,Webページ作成ツール,スケジューラ,IM(インスタント・メッセージ),文書作成・共有ツールなどとセットになっている。コンシューマ向けとは明確に分けて,企業向けの機能を充実させた。一般企業向けには有料版と無料版の2種類がある。
 企業向けGmailは,コンシューマ向けGmailをベースにしたメール・ホスティング・サービスの体裁を取る。操作インタフェースはコンシューマ向けと同様だが,企業向けではロゴを変えたり広告を非表示にできる。ストレージを増やすことも可能だ。そして何より大きな違いは,ほかのホスティング型のサービスと同様に手持ちのドメインを使えることだ。つまりメールのアドレスを「~@自社ドメイン」に設定できる。
リッチな機能を自社ドメインでも使える
 企業向けGmailの特徴は「Gmailの操作性」を保ちながら「企業向けに特化したツールやサービス体制」を追加したことである。
 Gmailの操作性とは,コンシューマ向けのGmailで提供してきた大容量のストレージやセキュリティ,検索などの機能をそのまま使えることである。無料で使えるメール・サービスには,米マイクロソフトの「MSN Hotmail」(現在の「Windows Live Hotmail」)や米ヤフーの「Yahoo!メール」などがある。これらを追って,Gmailは2004年に「~@gmail.com」のアドレスを持つサービスとしてスタート。当初から無料サービスとしては大容量なギガバイト級のストレージを利用できたことで,ユーザーから支持を得ていた。
 GmailはWebブラウザから利用でき,メール・ソフトからPOP3やSMTPでアクセス可能である。Webメールの画面はメール・ソフトに近い操作性を持ち,メール本文の画面と受信メール一覧の表示を素早く切り替えられる。セキュリティ面では,スパム対策とウイルス対策を標準で搭載。グーグルが得意とする検索技術を使ったメール全文の検索機能も提供する。

業務利用に向いた機能をそろえる 
企業向けGmailはこうした特徴を引き継いだうえで,業務利用に役立つ機能を付け加えた。グーグル日本法人の大須賀利一エンタープライズセールスマネージャーは,「コンシューマ向けに提供してきた検索,メール,カレンダーなどのサービスを企業が活用できるように,Google Appsとしてまとめて提供した」と説明するディレクトリ・サーバーなどの既存システムと連携するためのAPIなどがそろっている。
企業向けのGmailはGoogle Appsのサービスとして提供されているGoogle Appsというアプリケーション群のサービスに,自社ドメインで使えるGmailやユーザー管理ツールなどが含まれている。
 Google Appsは,4種類のEditionに分かれている。「Standard」は,機能に制限がある代わりにすべての組織に無料提供される。企業向けで有料の「Premier」と教育機関専用の「Education」になると,電話サポートやAPIなどすべての機能を使える。このほか,インターネット接続事業者(ISP)などがグーグルとパートナ契約を結び、そのパートナのブランドでサービスを提供する「Partner」がある。
 一般企業が自社ドメインでGmailを使うには,Standard EditionかPremier Editionを契約すればよい。ただしStandard Editionは,ストレージが1ユーザー当たり2Gバイトで,ドメイン名を自社のものにしたりユーザーを管理したりできるが,利用できる企業向け機能は限られる。
 有料のPremier Editionでは,電話サポートや既存システムと連携するためのAPIを利用でき,「メールの稼働率が99.9%」というSLAも付いている。ストレージは,1ユーザー当たり10Gバイトまで利用可能。料金は100アカウント以上で使う場合で1アカウント当たり年間6000円,99アカウント以下は日本円での料金はなく,1アカウントにつき年間50ドルだ。

企業の情シス担当者の関心は高い
 では企業向けGmailをユーザー企業はどう評価しているのか。ユーザー企業4社の情報システム担当者に聞いてみた。4社の担当者は全員,コンシューマ向けを個人的に使った経験があった。また,いずれの企業も現時点で企業向けGmailを採用していないが,関心はあるようだ。

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2007年11月6日火曜日

成果主義ってやっぱりきらいだ

うーん。
成果主義って、どうでしょう(笑)。日本人向けじゃないとか言いますが、海外でも決して成果主義ではないし、そもそも成果って何だ?って話だし、成果なんてものが1年も前から決められてたまるかって話だけど、年俸制だし、そうしないとコスト管理できないし。
そもそも、自分の経験として、給料下がるということについて、どれだけ信用している上司であっても納得することはきっとないと思うし、成果主義という結果に対して払うというよりは、椅子に対して給与を払うのであって、椅子にふさわしくないと判断した時点で、椅子を変えればよいのであって、椅子を何個用意するかで考えればよいんじゃないのかな?椅子というか仕事の単位になると思うけど、その価値を重み付けしてしまえばよいのであって、マネージャ個々人に負荷をかけるようなきれいごとは制度としてそもそも矛盾しているので、主義とかかっこいいこといっている世界じゃないと思うなぁ。
マネージャやったことないコンサルタント諸氏が制度を作ってくれるんだろうけど、正直、自分が部下の給料を決めるって、恐ろしくつらい作業です。やってみたまい、って感じ。ほんとにできると思っている?
それくらいなら、誰かが決めてくれるのが断然楽チンです。自動計算させてほしいくらい。
そういう意味で、「時間」という価値で給料の支払い量に差が出る残業代ってのは、合理的なのだ。
年功序列もシンプルなので、説得力がないわけではない。
これくらい単純なものが結局、納得感が一番高い。。
人間はそんなに頭良くないということが問題だったりする。
でも給料は、生活の問題なのでね。
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成果主義での不満は、評価の低さではなく“納得感”
前川孝雄(リクナビ編集長)
 2004年に行われた厚生労働省の調査によると、成果主義は半数以上の企業ですでに導入され、従業員1000人以上の企業に限れば8割を超えています。今や成果主義は日本企業とって、スタンダードな人事制度になりつつあるのです。
 今の上司が若手だった頃は、まだ年功制が残っていた時代。昇進や昇給のスピードもほぼ横並びで、ある意味、上司の評価をそれほど気にする必要はありませんでした。「◯歳までに試験に受かったらこのポストにつき、給料は◯万円アップ、その次は……」という先々のキャリアや給与モデルが見渡せていたため、人事や昇給はいわば想定内。部下の「納得感」は高く、上司がいちいち昇進の理由に言及する場面は、そう多くありませんでした。
 しかし、上司の評価が部下の出世や給与額に直結する成果主義では、なぜそう評価したのかを上司自身が説明し、部下の“納得感”を作り出す必要があります。ここでも、やはり上司のコミュニケーション力が部下を納得させる武器になるのです。
 でも、これが実に難しい! 私が編集長を務めていたエンジニアのためのキャリア支援サイト『Tech総研』にも、成果主義にまつわる投稿が多数寄せられます。エンジニアは仕事の成果が定量化しづらく、客先に常駐していて上司と離れて働くことも多いため、成果主義が機能しにくい職種です。
 そのエンジニアの声でやはり目立つのが、「与えられた目標はすべてクリアしているのに、ろくな説明もなく評価が下がった」「同じ成績なのに、なぜか同僚だけが高評価。上司の覚えがいいからでしょうか?」といった、“納得感”のなさから出る不満です。
 これは具体的な数字でも表れています。労働政策研究・研修機構では、2004年に成果主義を導入した企業の従業員3000人を対象に、導入前と導入後の査定への納得感を尋ねています。「賃金や賞与の判断材料となる評価」に対して、「納得感が高まった」は15.1%。反対の「低下した」は28.8%と倍近くなっています。

加速する成果主義に現実が追いつかない
 では、なぜ納得感が低くなってしまうのでしょうか。それは、現在の成果主義がさまざまな面で矛盾を抱えているからです。
 先ほど触れた厚生労働省の調査でも、成果主義を取り入れている従業員1000人以上の企業の約8割が、「現在の成果主義に修正や改善を行う」と答えているほどです。
 矛盾点の1つは、成果主義といいながらも、目に見える成果が示しにくいことです。
 モノがあふれる社会において、日本の産業はサービス業化が進んでいます。サービス業の成果は顧客の満足度主体ですから、営業職でいう売り上げのような数値化は図りにくいといえます。そのため、労使双方の納得感を高めるために客観的でなければならない評価指標が、非常にあいまいになってしまうのです。
 そのため、評価する上司側も自信が持てずに、ほかの管理職と相談しつつ、横並びの評価を行うといった本末転倒な事態も起きています。
 また、別の矛盾点として、上司が部下の仕事振りを目にしていないにもかかわらず、評価を行わねばならない状況が生まれていることも指摘できます。とくに最近増えているのが、業務委託形態で仕事を請け負った企業が、客先に部下を常駐させてシステム開発などを行なうケースです。
 この場合、毎日上司は東京の本社へ出勤。一方、部下は千葉にある客先の会社で職務に当たるといったことが起こります。部下からすれば、「見てもいないくせに!」と上司の評価に不満を抱く原因となりがちです。
 また、成果主義とはいっても、1つのチーム内で、評価のランクごとに人数制限が設けられていたり、給与の上げ幅の上限が定められていたりと、相対評価で査定が決まるケースがほとんどです。もし、同じ成績の部下が2人いても、上司は彼らに同じ評価を与えることができないという事態も頻繁に起こっています。

成果主義での不満は、評価の低さではなく“納得感”
 かといって、上司が口をつぐんでしまっては、「好き嫌いで評価を決めている」と誤解されて仕方ないことになります。
 これらに加えて、成果主義では、部下の育成が上司のポストを危うくするという矛盾もはらんでいます。今や「年下の上司」も当たり前になりつつありますが、育てた部下が自分の成績を上回り、ある日、立場が逆転してしまうケースも実際に起きているのです。

評価が低いから不満が生まれるわけではない
 04年の内閣府の調査によれば、成果主義賃金の割合が給与の50%以上ある企業では、同世代で最大2倍近い賃金格差が生まれています。こうした現実があるのですから、評価についてきちんとした説明がなされなければ、モチベーションを失ったり、上司に対する反発心を生んだりするのも無理はありません。
 そもそも、部下が“納得感”を得られない理由は、必ずしも評価の低さによるとは限りません。今の部下たちの多くは、成果に応じた収入が得られる成果主義そのものは歓迎しています。たとえ低い評価であっても、“納得感”を得られれば、受け入れる用意は彼らにはあるのです。
 事実、高い評価を得ても、逆に「同期と同じ結果しか出してないのに、上司はどこを評価したんだ!?」と疑問を持つ人もいます。興味深いことに、高い評価が必ずしも部下の“納得感”につながるわけではないのです。
 だからこそ、どんな基準で評価が下されるのか、普段から自分の言葉で説明しておくことが大切なのです。そして、後で詳しく取り上げるように、まずはあなたという人間への信頼感がないと、与えられる評価もそのような目で見るようになるのです。

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2007年11月5日月曜日

パパもこんなにダメだった大賞

この企画はなかなか楽しげで良いと思うのですが、ほんとうに、心底だめだめだった場合に、子供はどのように受けとめたら良いのでしょう?

パパもこんなにダメだった」大賞 大募集 -日経キッズプラス 共同企画
10/15/2007

HP TouchSmart PC - 指先で触れるだけの簡単操作ご家族のクリスマスプレゼントにいかがでしょう?親が子どもと一緒に生活を楽しむための雑誌「日経キッズプラス」とHPとの共同企画で、「パパも昔はこんなにダメだった」エピソードを100~400字程度の文章で募集中です。大賞に選ばれた方にはHP TouchSmart PC他、旅行券などがもらえます。幼稚園~小学生の子供を持つパパは是非ご応募ください。
募集テーマ子どもの頃の失敗談、父や母を困らせたこと、友達とのケンカの思い出、テストで0点を取ったこと、家出をしたこと・・・など、今だから言える昔の「ダメだった頃の思い出」を募集しています。面白いエピソードを100~400字程度の文章にしてご応募ください。今のパパとのギャップがポイント。自由に、そしてリアルに表現してください。※応募時に写真をお送りいただく必要はありません。
応募資格幼稚園~小学生の子どもを持つパパ
応募締め切りWebからのご応募
  2007年11月16日(金)23時59分まで郵送でのご応募
  2007年11月16日(金)当日消印有効

2007年11月4日日曜日

過去の成功体験に基づく思考停止

昔から素朴な疑問がある。

その疑問はここに記載されているとおりで、どーして市場が拡大し続ける前提で技術には投資されていくのだろうというものである。

やっぱりそうだよねぇ、という感じ。

2倍の生産能力を持っても市場は2倍にはならないはず。

投資計画がお金だけを基軸にしてはいけない典型ですね。

前提が狂うと投資計画は成り立たないので。

エントロピーは無限に増大するかもしれないけど、ロングテールな感じで収斂していくもの。

がん細胞が無限増殖したとしても、宿る肉体が限界点である。

生産物も消費が限界点になり、いずれ収斂するものだものね。

でも錯覚が生じる、なぜか。

バスタブカーブを超えたフレームワークがないと、難しいのかなぁ。

既存の概念は、そこに限定的な市場が前提になっている。

グローバル化の進展に伴い、一見限定解除になっている。

が、それはパイが大きくなっただけ。

そこに知識や情報の粘着性とスピード変化の概念が絡んできているので、既存のフレームワークでは捕らえきれないのかもしれない。

この問題はディスプレイだけではない。

サービス事業体でも同様にことが起きること間違いなく、すでにIT業界ではSE費用の値崩れが起きている。

コモディティ化は資本主義の宿命だから仕方ないとして、それを見越さずに次はないわねぇ。

もう少し考えてみよっと。



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思考停止というリスク
2007/11/02 14:12  仲森 智博=編集委員
日本企業の特質ということでよく挙げられることの一つに、「リスクをとらない」ということがある。現場、あるいは技術者個人のレベルでいえば、かなり革新的だが未知数的な仕事もあるように思う。けれど、往々にしてそのような案件は、いざ投資が必要な局面になると棚上げされてしまう。日本的組織というもののなせる業か、はたまた経営陣のマインドの問題なのか。
それでもときどき、「けっこうリスクがありそうなのによく思い切ったなぁ」と思う事業計画に出くわすことがある。その決断に独自性があるなら、まあよい。それはハイリスク・ハイリターンな「賭け」なのであるから。ところが、いつもそうだとは限らない。しばしば、多くの企業が大挙してハイリスクとしか思えない判断を下しているように見えてしまうことがある。ところが話を聞いてみるとたいがい、当事者たちには「リスクをとっている」という意識がないようなのだ。


横並び
皆が手を携えて同じハイリスクな道を選択すれば、それが失敗しても「隣との差」はつかない。それが経営陣に安心感をもたらし、リスクの大小に関して熟考することをやめさせてしまうのか。だが、その結果として業績が低迷すれば迷惑を被るのは技術者である。自社の体力を超えるほどの痛手を被れば、外資系ファンドの餌食にだってなりかねない。
では、リスクを見事に乗り越えてめでたく成功すればどうか。みなが成功するわけだから、リターンは少ない。つまりハイリスク・ローリターン。まったく割の合わない話である。
その典型例として、以前にも少し触れさせていただいたディスプレイ業界における顛末を取り上げてみたい。1993年ころの話である。
当時、液晶業界は大画面のカラーTFT液晶パネルの大幅増産に向け着々と準備を重ねていた。大手の国内総合エレクトロニクス・メーカーはほぼ全員参入し、これに中堅メーカー、果ては韓国勢、台湾勢も加わるという大陣容がそろっての決定だった。そのとき日経エレクトロニクスの記者だった筆者は、さっそく各社を回って投資額、生産予定数量を聞き、「どれくらいのシェアを確保する予定なのか」を尋ねてみた。
するとどの企業も「巨額を投じて勝負に出るからには20%以上のシェアを目指すのは当然」という。「いやいや、うちは30%以上を狙います」などという企業もある。そこで、そのすべてを足し合わせてみたら、何と200%を超える数字になってしまったのだ。


一斉参入のアルゴリズム
これは大変なことである。計画通りにことが運べば、業界全体では自分たちが想定している2倍以上の供給能力を持ってしまうことになるわけだから。しかも、「20%以上」などと目論んでいた各社のシェアは、10%ほどにまで萎んでしまう。
ことのほか低いシェアしか確保できなかったメーカーは、隣の顔を見ながら必死にアクセルを踏むだろう。メディアも調子にのって「大増産、いよいよ本格普及へ」とか盛り上げる。
関連業者だって黙ってはいまい。この少し前、ある国際会議の懇親会で京セラ前会長の西口泰夫氏に偶然お会いした。当時は事業本部長といった役職で液晶事業の統括をされていたように記憶する。その西口氏が会場をぐるりと指差してこう言われた。「ほらほら見てごらん、ここは死の商人の巣窟だよ」。死の商人とは本来は武器商人のこと。こちらでは「敵は最新鋭の武器を配備しましたよ。おたくも対抗しないと」と煽り、あちらでは「もう敵は対策を打ちました。ここで増強しないとパワーバランスが崩れます」とけしかける。その姿を当時の設備メーカーのセールストークにダブらせて、こんな冗談をおっしゃったのだと思う。
こうして、増産機運は否が応にも盛り上がり、それにメーカーが乗れば、どんどん生産能力が増えていく。けれど、当時のように10インチ型で1枚10万円もしようかという液晶パネルに、そうそう買い手がつくとは思えない。
その先に見えるのは、悲惨な値崩れだ。かつて長く日経エレクトロニクスの編集長を務めていた西村吉雄氏は、この現象について面白い指摘をされていた。「自由市場に任せると、米は余れば底なしに値段が下がっていく。半額にするからと言っても食べる量を2倍にしてもらうことはできないからだ。半導体は産業の米などというけど、その価格決定メカニズムは、米と実によく似ている。少々値段が下がったからといって、需要は増えない。だから、底なしに値段が下がっていく」。ディスプレイも、事情は半導体と変わりない。


考えずに信じる?
これはえらいことだと、各社の担当者に話を聞いてまわった。データをみせると、供給能力が激増することは認める。価格が大幅に下がるだろうことも認める。けれど、それはコスト削減努力と量産効果によるものであって、決して「買い手がないから」という種類のものではないと言い張るのである。「カラーTFT液晶パネルは、夢のディスプレイなのだ。こんな素晴らしいものが売れないはずはないではないか。引く手あまたに決まってる」と。
でも、それは理屈に合わないだろう。作る端から売れていくのであれば、値段が下がることはない。「いや10万円でも買いたいという人はいくらでもいるのだけど、原価が下がったから5万円で売ります」などと、理由のない廉価販売を実施した話など聞いたことがないのである。売れるのであれば、値段は下がらない。値段が下がるのであれば、それは供給過剰だから。これが市場原理というものだろう。それとも、こと液晶パネルに限って、市場原理を超える何かが起きるというのだろうか。
結局、どのメーカーの方と話しても、議論はかみ合わないまま平行線で終わった。ほとんどの前提条件は是認してもらえても、「余ったあげくの価格暴落」が起きるということだけは決して認めてもらえないのだ。そのとき頭をよぎったのが、「思考停止」という言葉だった。「もう、投資をすることは決めた。その先のことは考えたくない」ということではないかと、不遜にも疑ってしまったのである。


アクセル「べた踏み」
そして、理屈通りの結果が日本メーカーを襲った。1994年後半から国内の新鋭工場が続々と稼動を始め、パネルの値段はどんどん下がっていった。そのうち、一部メーカーが生産調整を始めたとの噂も流れ始める。韓国や台湾のメーカーも本格量産を始め、そのことが市況を一層悪化させていく。
 もっと悲惨だったのは、この数年間にすべての国内参入メーカーが被った「火傷」が、経営者の投資マインドを冷やしてしまったことだ。経営者たちは、この投資がリスキーなものだとは思っていなかったのだろう。それだけにショックが大きかった。そのショックのあまり、過剰に萎縮してしまった。そう思えてならない。
一方、同じ火傷を負ったはずの韓国メーカーや台湾メーカーは、それをものともせず、後発というハンディすら乗り越え大型投資を続けた。参議院議員の藤末健三氏が指摘されているように、韓国メーカーには政府系融資という強い味方もあったようだが
ある業界関係者は、日韓の投資行動の差について、後日こう説明されていた。「あれ以降、日本は腰が引けてアクセルとブレーキを交互に使うようになった。つまり、市況が好転すればアクセルを踏み、悪化すればブレーキを踏めばいいと思ったんですね。これがマズかった。いざアクセルということで投資をしても、実際に生産ラインが稼動して供給量が増えるのは1年後か2年後。ところがそのころには市況が悪化している。結果として、逆、逆になってしまうわけです。一方、韓国や台湾のメーカーはひたすらアクセルを踏んだ。日本がブレーキをかけるたびに、その差が縮まり、やがては抜かれてしまった」。
別のアナリストの方も、この説を支持しておられた。「そうそう、その通り。もっと言えば、半導体も同じ。まったく同じパターンで、日本メーカーは韓国メーカーに抜かれてしまったというわけです」。
そして気付けば、今日のような状況になっていた。日本の技術者が知恵と労力の限りを尽くして育て上げ、ついには量産にまでこぎつけた液晶パネルは、それがようやく「稼げる」ところまで成長したとき、その売り上げの多くを海外メーカーに渡してしまっていたのである。それでもシャープのように、強豪の一角を死守しているメーカーもある。けれど、1990年代前半に高々と量産宣言をしたメーカーの多くは、大画面液晶パネル事業の縮小や譲渡、撤退を迫られることになってしまったのだ。


歴史は繰り返す?
 こんな古い話を持ち出して、ぐちぐちと言い立てる気になったのにはワケがある。最近「なんか似ていないか」という話を聞いたからなのである。それは、今秋の展示会などでも話題をさらった有機ELパネルにまつわるものだ。
 展示会で有機ELパネルのテレビを実際に見て「これはスゴい」と感じた。長い年月をかけてここまでこの技術を育て上げた方々の努力に、大いなる拍手を送りたい気持ちになった。けれど、それはそれ。その興奮をそのままに、テレビのニュースなどが「ポスト液晶」などと持ち上げている真意が、私にはよく分からない。このディスプレイが現在の液晶テレビやパソコン用の液晶モニタに取って代わるとは、どうしても予想できないのだ。
その疑問をある技術者の方にぶつけてみると、「でも本当にきれいでしょ。あれを見たら絶対に欲しくなるはず。まさに夢のディスプレイです」などと、あのころによく聞いたような答えが返ってきた。同じことを弊社の記者に聞いてみると「まあ成功するとは思いますよ。まだ高いけど、アーリーアダプターなら飛びつきそうな価格です」などという。けれど、4チャネルのステレオ・セットとか民生用DAT(デジタル・オーディオ・テープ)とか、すごいのでアーリーアダプターは買ったけどそれで終わってしまった製品はいくらでもあるのである。
別の方からこんな話も聞いた。「有機ELの材料メーカーも大増産を決めたようです。日本メーカーだけでなく、複数の韓国メーカーも量産に乗り出そうとしていますし」。要は「大勢やっているんだから、きっと大丈夫なんじゃない?」ということなのだろう。これまた、あのころに聞いたようなセリフである。


強みと弱み
もう一つ、有機ELディスプレイが成功する要素としてよく語られることがある。それは「自発光」ということだ。液晶パネルの各画素は単なる光シャッターだから、必ず光源とセットで使わなければならない。けれど有機ELパネルは、各画素が発光する。これがスゴイというわけだ。光源がいらないから薄く、軽くなるという説明はわかる。けれど、展示会の説明員に言われた「自発光だから画がきれいでしょ」というのは、必死に見たけどよく分からなかった。そうでないことは知りつつも、私の目には液晶だって各画素が自分で光っているように見えてしまうのだ。
逆に「自発光はダメ」と、その問題点をずっと以前から指摘されていたのが、日経マイクロデバイスの編集長を務めていた林裕久氏である。その理由はこうだ。液晶パネルの場合、各画素に駆動ICを通じて供給する電力は、光シャッターを動作させるだけに使うから実に微々たるもの。ところが、自発光のディスプレイでは、発光するために必要な電力をすべて駆動ICから供給しなければならない。このため、自発光型用の駆動ICは液晶パネル用のそれより必ず高価になる。
パネル本体の方に目を向けると、有機ELパネルは液晶パネルと同様にTFT基板を使う。この点に注目し「有機ELは液晶で構築した技術を流用できるので、成功の可能性が高い」とみる向きもある。けれど、そのことは同時にネックでもある。有機EL用の基板が、液晶パネル用基板より安くなることはあり得ないことを示しているからである。
基板のコストは頑張って液晶並みで、駆動ICは高価。製造技術の修練度は、液晶パネルとは大人と子供ほど違う。となれば、必ず有機ELパネルは液晶パネルより高くなる。それでも液晶パネルに対抗できる理由として挙げられるのは、その薄さと画質の高さだろう。しかし、市販の液晶パネルが、その薄さや高画質を達成するために投入可能な技術をフル活用しているとは思えない。コスト競争力を考慮し、「可能だが投入していない」技術が相当にあるようなのである。実際、ある液晶パネル技術者は「学会レベルのものを含め、先端技術をコスト度外視で投入すれば、相当に薄くてきれいな液晶パネルができる」と胸を張っておられた。


ムービング・ターゲット
そもそも、液晶パネルと有機ELパネルでは、投入されている開発資金と技術者の数が全然違う。車輪や車体の能力はともかく、逃げる車の方には追いかける車よりケタ違いに馬力のあるエンジンが搭載されているのだ。この差こそ決定的だと個人的には思っている。今の液晶パネルを見て有機ELパネル陣営が「いつまでにこれくらいのパネルを」と勝利のシナリオを描いても、相手は「ムービング・ターゲット」。止まっていてはくれないどころか、しばしば予想を超える進化を遂げる。
それに立ち向かう勇気を賞賛したい気持ちは大いにある。けれど、投資の判断を誤れば、大きな打撃を被るのは経営者だけではない。技術者を含むすべての従業員なのである。くどいけど、だから挑戦はダメだと言うつもりはまったくない。ただ、「本当のリスクは思考停止にある」ということだけは認識しておくべきだと思うのである。
かつて液晶パネルは、大量流血しながら値段を下げ、ついにはブラウン管ディスプレイを駆逐するまでに成長した。その再演を夢見るのはいいけれど、この「リプレイス劇」には、大きな幸運があったことを忘れてはならない。液晶パネルは、その成長期に「ブラウン管では到底なし得ない」アプリケーションに恵まれたのである。
カラー液晶パネルが出始めたころ、ある液晶技術者がこんなことを言っておられた。「液晶パネルの難しさは、ヘタな練習曲を聞かせてお金を払ってもらわなければならないことだ」と。当時の液晶パネルはブラウン管の表示性能に遠く及ばず、しかも相当に高かった。それでも「買ってやろう」という顧客が現れなければ先には進めない。その、気前のいいパトロンの役割を果たしたのが、当時急速に売れ始めていたラップトップ・パソコン、ノート・パソコンだった。
有機ELパネルも同じだと思う。いきなり液晶パネルと競合するのは相当に難しい。その成長期を「授業料の高い学校に子供を行かせていると思って、赤字を覚悟で何年でも耐え抜く」という手はある。けれど、短期的な利益確保を重視する今の経営者と株主にその度量はあるのだろうか。それができる自信がなければ、「ポスト液晶」などというメディアの掛け声は聞き流し、「液晶パネルでは到底なし得ない」独自のアプリケーションや、光源などディスプレイ以外の展開を血眼になって探し出すほかにないだろう。それはそれで重い課題だと思う。
そんなことを今さら言わなくても、参入メーカーの方々はよく分かっているのだと思う。「あまり評判になったものだから、ついついリップサービスをしてしまっただけ。ぼちぼちいきますから」ということかもしれないし、意外や「まだ内緒だけど、すばらしいアプリケーションを見つけたんだ」ということなのかもとも考える。けど、あれだけの努力を重ね、あれだけのものを作り上げつつ、事業継続すらままならない状況に陥る場面を目撃してきた身からすれば、あのころの悪夢が頭をかすめて心配で心配でしょうがないのである。いつもながら、私が心配したところでどうなる話でもないのだが。
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2007年11月3日土曜日

ものづくり寄席









そういえば、こんな案内が来ていたんだったと思いつつ、完全に忘れ去り、3回目までも過ぎ去ってしまいました。




費用対効果のかなり高い試みとして、個人的には期待してたりする。

で、ぜひ参加したいのだけど、ついつい忘れがち。
まぁ、そんなものかもしれない。
やる気が薄いわね、いろいろと。
昔から、計画倒れだけは大得意なので。
  #なんで会社で仕事できてるんだろう。。

以下、転載のスケジュール表です。

© 東京大学

11月8日(木)★
稲垣 雄史ものづくり経営研究センター特任研究員元 富士通ゼネラル常務取締役
経営が使いこなしたい品質工学(やさしく語るタグチメッソド)
品質工学を使うと、製品の最適化ができ、フロントローディングには欠かせないという。しかし、使い始めると意外に難しい。もう少し分かる言葉でどのように企業競争力強化に役に立つか知りたい。そこで、ものづくりの深層の競争力を形作る「組織能力」の視点で品質工学を見直す。
11月15日(木) ★
田中 正知ものづくり経営研究センター特任研究員ものづくり大学名誉教授 元 トヨタ自動車㈱生産調査部長
「とんま(豚馬)な話に乗るな。」~Jコスト論の易しい説明~
餌代も期間も違う豚と馬の肥育事業の儲けが今世間でやっている色々な計算法で試してみると豚の方が儲かったり、馬の方が儲かったりする。とんまな結論を出さないように、Jコスト論に基づいて儲けの考え方を学ぶ。
11月22日(木)
天野 倫文東京大学大学院経済学研究科准教授
HDD産業のアーキテクチャとグローバル競争戦略の分析
技術革新とグローバル競争が著しいHDD産業では近年業界構造と競争の図式が大きく変わろうとしている。最新の海外調査をふまえながら、日米グローバル企業の競争戦略の現状と今後の課題について展望したい。クリステンセンの仮説も再検討する。
11月29日(木)
新宅 純二郎東京大学大学院経済学研究科准教授
ものづくりベースのブランド戦略
開発や生産の現場でのいわゆる狭義のものづくり能力の高さだけでは高収益に直結しない。日本的なものづくりが、どのようにすれば顧客に高い価値を認められ、高収益とブランド力につながるのか。
12月6日(木)
佐々木 久臣ものづくり経営研究センター特任研究員元 いすゞ自動車㈱専務取締役
完璧品質をつくり続ける生産方式~品格有る経営への考察~
ものづくり企業が完璧品質を目指すことは、品格ある経営の第一条件である。品格ある経営とは、「効率よい経営」と「尊敬される経営」を同時に達成することである。日本からポーランドへの初の大型投資であったいすゞのディーゼル・エンジン工場での経験をもとに、品格ある経営を考察する。
12月13日(木)
大鹿 隆ものづくり経営研究センター特任教授
世界自動車産業の実力ランキング(最新版)
10年来、「世界自動車産業の実力ランキング」をつけている。10年前と現在でどのように違っているのだろうか、その理由は何故だろうか。グローバル製品市場戦略と「技術力」「生産性」「収益力」などの競争力視点から、多面的に語る。
12月20日(木)
小川 紘一ものづくり経営研究センター特任研究員元 富士通㈱光ディスク事業部長
なぜ我が国のエレクトロニクス産業は内弁慶なのか?
我が国エレクトロニクス産業が内弁慶から脱皮できない理由として、海外市場で受け入れられる製品のアーキテクチャと企業の組織能力との間にある大きな乖離を明らかにする。また、海外市場に勝ちパターンを構築する重要な経営戦略を多数の事例から説明したい。
1月10日(木)
邊見 敏江ものづくり経営研究センター特任研究員元 ㈱イトーヨーカ堂常務取締役
イトーヨーカ堂の経営の特徴と現場事例
イトーヨーカ堂の経営の特徴を報告後、DVDで現場事例を放映、パートを巻き込んだ「仮設‐検証、発注を通した売り場設計(品揃えや売り方など)」を紹介。さらに単品管理経営を概説する。
1月17日(木)
高橋 伸夫東京大学大学院経済学研究科教授
ライセンス・ビジネスと発明報酬
知的財産権の評価について、経営学の立場から、実際の企業行動と市場取引に関する知見に基づいてライセンス・ビジネス的な枠組みを提示し、発明報酬についても考えてみたい。
1月24日(木)
具 承桓ものづくり経営研究センター特任研究員京都産業大学経営学部准教授
医療サービスの向上のための情報技術と組織変革
財務状況の悪化の中,とりわけ病院の効率化が問題になっている。ITを活用する取り組みがあるものの,それほど成果をあげていない。ものづくりの視点を医療サービス産業に適応し,医療現場の問題を明らかにしつつ,医療サービスの向上に必要なものは何かを考える。
1月31日(木)
水島 温夫ものづくり経営研究センター特任研究員㈲フィフティ・アワーズ主席コンサルタント
レッドオーシャンの元気な魚達~消耗戦を勝ち抜く日本企業~
日本の製造業、特に化学系企業は規模のハンディキャップを背負いつつ、欧米企業との消耗戦(レッドオーシャン)でしたたかに勝ち残っている。そこにはMBAの教科書の常識を超えた秘策がある。
2月7日(木)
ダニエル A.ヘラーものづくり経営研究センター特任研究員横浜国立大学国際社会科学研究科准教授
「ラーニング・アライアンス」の構築
戦略的提携がますます増える現在、相手組織から何かを学習するという目的でアライアンスを組むケースが珍しくない。自動車産業の事例を通してこの現象を共に考えたい。
2月14日(木)
朴 英元日本学術振興会外国人特別研究員
液晶産業のアーキテクチャと企業戦略
最近、携帯電話や薄型TVなど多くの家電製品に取り付けられている液晶ディスプレイを取り上げてお話したい。具体的に液晶製品のアーキテクチャ視点から、液晶産業の歴史と液晶パネル企業の戦略を考察する。
2月21日(木)
阿部 誠東京大学大学院経済学研究科教授
ものづくりを諦めたアメリカ、マーケティングの出来ない日本
70~90年代、アメリカは日本の製造業の猛烈な追い上げにあって、逃げ場を探した。BRIC諸国の追い上げによって、今、日本は同じような立場にいる。製造業志向の『ものづくり』から変身しなければ、日本に未来はない。
2月28日(木)
藤本 隆宏、新宅純二郎、高橋伸夫、安田雪 他
千秋楽 大喜利
ものづくり経営研究センターの真打ちが打ち揃って千秋楽を飾ります。お題は未定、どうぞご期待下さい。

2007年11月2日金曜日

やや苦くてイタイ感じ

これってわざわざ日経ビジネスの記事としてパブリックにするような内容かよと思いながらも、ついつい読み進んでしまい、細かいエピソードに突っ込みいれたりで、読みきってしまう。
出始めのダウンタウンを横山やすしが「チンピラの与太話」と評したように、ただのおっさんの同窓会の会話に過ぎないとも思えたり、でも「そんなレベルのコンテンツ」だからこそ、実感を持って読めるんだなぁなんて思ったりもして。
なんだか、脳みその普段使わない領域に隠蔽して蓋してあるところを引っかかれる感じ。
いわゆる「あの頃は」の頃の、青臭くても尖っていたけど稚拙で幼稚な思想が喚起され、ものすごく恥ずかしくなり、きっと試験の夢にうなされるに違いない気持ちになる。
ブログを残しておくことはそんな「あの頃」のひとつを残していく行為だったりするので、良いんだか悪いんだか。
うーん、ずるずると青臭いオバカな思いが立ち上がってきますね。
なんだかこの人たちと価値判断原理がどこかで共有されているのだな。
それがものすごく、イタイ、アタタタタ、という気持ちになる
とりあえず断ち切って、文中の微分記号と積分の混同のくだりは秀逸。
  #正確には本文でないけど
話をしている本人たちはもとより、記者までがブンケイニンゲンで構成されているためのオチなのかと思うけど、笑って許せる感じ。
ちなみに最後のオチは、びみょーにおいらには笑えない(笑)

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「息子」と「宴会芸」と「君が代」と
~お父さんは、数学で1点を取りました
2007年11月2日 金曜日

岡 この間、息子から就職の相談を受けたの。でも、自分がどうだったかというとさ、結局、成り行きでしかないじゃない?
小田嶋 そうだね。
岡 だから、真剣に進路ということを相談された時に、返す言葉なんかないんだよ。時代としてないのか、俺がないのか分からないんだけど。
小田嶋 岡は、(就職は)大人たちとのゲームになるから、勝った方がいいだろう、というふうにして取り組んできたわけだろう。これまでの話からすると。
岡 その通りなんだけど、僕の息子のように、ゲーム感覚なんて、そんなことにあまり興味がないやつら――そういう健全な青年たちも世の中にはたくさんいて、勝ち負けって何? みたいなことを言われると、もう何もない。
小田嶋 そうだよね。
親の自分とただの自分と
岡 僕らの前の世代というのは、「自分」という文脈というのかな、例えば戦前だったら「国」になるんだろうけど、「家族」でもいいな。そう、一家とか家族とか、そういうもののために、こういうように生きる、そして自分もその中でこそ幸せだ、みたいな大きな文脈が自分以外のところにあって、そこで今何をすべきかという話が作れたんだけど、俺たちの世代になってからは、もう、そういうものはなくなったでしょ。
小田嶋 なかったね。
岡 そういうものがないと、受験にしても就職にしても、結局、そのゲームが面白いから勝ってやる、ということ以外に、僕の場合は自分を突き動かすものがなかったと思う。でも、少なくとも、僕はそれがあったから面白かった。だから、それ以外にどうやってみんな頑張るんだろうと。これを今日ね、話そうと思っていたんだよ。
小田嶋 ああ、そうね。でも、岡のゲーム感覚は他人に適用できる話じゃないよね。岡 そう思うよ。息子に、お前そう感じないのか? と聞くことも意味がないぐらい違う人間なわけだし、そもそも息子はそんなふうにゲーム感覚で生きていない。
小田嶋 対息子ということについて言うとね、俺はひとりの人間として思うことと、親という立場が言わせる発言ってあるでしょ。それがいつも、常に矛盾しているわけよ。
岡 だろう?
小田嶋 そんなのやるべきことじゃねえよとか、知ったこっちゃないさ、っていうのが個人的にはあるわけだけど、親がそれ言っちゃっていいのかなという思いはある。
岡 それに関して言えばね、俺はずっと一個人として接しているわけ。だって両方言うと、子供、混乱しちゃわない?
小田嶋 混乱してるけどね(笑)。
岡 そうだろう。
小田嶋 「そういう宿題はね、無視すればいいと思うけど、でも無視すると厄介なことになると思うよ」とか、そういう話をしてる(笑)。
嫁さんにも、ごめんなさい
岡 でもさ、母親っていうのは、当然のように親としての発言をせざるを得ないわけだよ。そうすると、お父さんは「まあお母さんが言うことの方に一理あるんだけどさ」と、及び腰になっちゃう。卑怯者ということなんだけど(笑)。
小田嶋 うちもやっぱり、最終的には嫁さんがすごい建て前論を言っているよ。絵に描いたようなことを。で、俺が「いや、でも、お母さんはああ言うけどね」なんて、子供にとっての空気穴みたいなことになるでしょう。そうすると、嫁さんはすごい怒るわけ。
岡 ま、それは怒るよ。
小田嶋 私がせっかくここまで言ったことの、その前提をどうする気だ、絨緞ごとひっぱってテーブルをずらすみたいなことを言うな、って(笑)。
岡 だけど父親と母親が違うことを言うと、子供としても混乱するんじゃないかな、とは思う。でも、仕方ないよ。他に手法はない。実際、息子は、高校を中退してしまったたからね(笑)。学校を辞めた時も、あれっ、お父さんは会社を辞めて、離婚もしたよね、何で僕が高校辞めたらいけないの? ということになって……。
―― 至極もっともなことを。
岡 それでもう、何か、ぐうの音も出なかった(笑)。だから、それがいい教育法かどうか分からないけど、でも、自分が建前を言うっていうのはかなり変なことじゃないかって。
小田嶋 俺の中では、まっとうな人間に育ってほしいという前提からくるアドバイスの仕方と、せっかくコースに乗っているんだから道を外れないでくれよという時のアドバイスの仕方は、結構ずれてくるわけよ。
岡 お前はそうだろうな。
小田嶋 だからそこのところで、結局、俺の中の問題だよね。「まあ、コースなんか外れてもいいから、お前の好きなように生きろ」と、そこまで言う度胸があるのか。「あのさ、結局人間なんてくだらんものだから、コースに乗っとくもんだぞ」というふうに言うのか(笑)。
適応のため努力は短いほどいい
岡 小田嶋の場合、小田嶋の本音というのは、非常に危険なわけだ。だって、どうせ死ぬんだからさ、に近いような(笑)。俺の場合の本音というのは、そんなにデンジャラスじゃないんだよ。いいんだよ、ルールなんて。取りあえず勝てばいいんだから、みたいなことだから。
―― 日々の努力なんていらないよ、と。
岡 でも、絶対に90点は取れよ、というようなことでしょう(笑)。そのために必要なのは3日間死ぬ気での詰め込みだ、みたいなことなわけだよね。だけど小田嶋の本当に思っていることというのは、僕よりも反社会的だし、アナーキーだから。
小田嶋 反社会的ではないけどね。
岡 反社会的じゃないけど、でも社会的じゃないよね(笑)。俺のは社会的なんだよ。だって最終的には、激しく適応しなければつまらないことになるぞ、ということだから。
小田嶋 でもね、俺、子供には言えないよ。学歴なんか価値はないけど頑張れとか、そんなこと言えないでしょう。
岡 それは言えないな(笑)。で、実際には小田嶋はどうしてるの?
小田嶋 頑張れって言う以上は、価値があると言わなきゃいけないしなあ。
岡 でもね、子供に頑張れと言っても、おやじは別にそんなこと本気で思ってないってことは、やっぱり感じるものがあると思うんだよ、彼ら側にも。
小田嶋 そうそう、だから逃げ場に使ってるね、俺のことを。おふくろに何か言われた時に、でもパパはこう言ってたよ、みたいな。それで結構、えっ、俺、そんなこと言ったっけ? みたいになっちゃうんだけど。ほら、高校時代の数学なんかは全部で9点ぐらいしか取ってないよ、という話があるじゃない(笑)。
岡 それ言ったのか? 子供に。
小田嶋 うん、ふっと何かの時に。
岡 それは息子は覚えてるな、絶対。
―― その「全部で9点」の全部、って?
小田嶋 テストは合計9枚で9点だから、平均1点かな、なーんて(笑)。ばかな話でしょう。それは自分的には単にばかだった、という話なんだけど、子供にとっては、それでも何とかなるもんだという教訓話、というか、生き方の指針として受け止めていたりする(笑)。
岡 生き方の指針ね。
小田嶋 パパは世界史とか、ほとんど授業出てないぞ、みたいな話っていうのも、それでいいんだぞ、というふうに解釈して聞いてるわけだよ。そうじゃないんだけどね。
岡 かみさんは嫌がるだろうな。
小田嶋 そういう話やめて、って言われて。確かに俺、うかつにそういう話してたよな、と思って。
※編集部注:第4回『「受験」と「恋愛」と「デニーズ」と』で小田嶋さんは「数学で零点を9枚」と仰っていましたが、実際には「1点を9枚」だったご様子です。お詫びして訂正しますが、第4回はそのまま放っておこうと思います
岡 でもある種、そういうめちゃくちゃで本当の話は、やっぱり何かが恵まれていないとできないわけでさ。
―― それはその通りですね。
岡 ただ普通に、数学1点とか、世界史の授業に出ないとかだったら、しゃれにならないでしょう。我々の時は時代の空気も違っていたしね。だって今だったら、お前、卒業できないよ、9枚で9点だと。3年かかっても無理でしょう。
小田嶋 そう、当時、試験で成績はつけなかった。
岡 補習みたいなのを受けていたんだっけ?
小田嶋 あのね、最後に俺、ウシオ先生に呼ばれてね、「ミワ先生も苦慮しておられるから」と、説得されて。幸い3学期のテスト範囲は「確率」だ。「確率はそれ以前の勉強の流れとは無縁で、独自に勉強すれば点が取れるらしいじゃないか。何とかしてここで点を取れ、何点とはいわないから取ってくれ」と、教師に懇願されて(笑)。
理由なき反抗、に見えただろうなあ
岡 そもそも数学の試験の時、お前は何をしてたの?
小田嶋 だから何も書かないでいた。俺、分からないからさ、白紙で出していたんだけど、それを先生には反抗と見られていたの。先生としてはサービス問題も出しているわけだよね、頭の方に。でも、俺、もう最初からアタマがかーっとなって、2点3点すら取りにいけないわけだよ。
―― 2点、3点すら。
小田嶋 もしかして、もっと真剣に考えれば5点や6点は取れたかもしれないんだけど、見た瞬間に、だめだこれ、っていう感じで、もう完全にスタートラインから外れちゃって。まあゴルフで言う「イップス」だよね。完全に対応不能になる。後は静かに寝て、名前だけ書いて白紙で出してたのよ。
岡 でも50分ぐらいあったでしょう、試験時間って。
小田嶋 だから寝てたんだよ。
岡 また席順っていうのが、あいうえお順になってきて、岡は一番後ろなわけ。で、小田嶋は先生の目の前になっていた(笑)。
小田嶋 3年間ずっと。
岡 僕は座高も高いから、いろいろなことが見渡せた。だって俺、高校時代の成績、平均4.2だもん、5段階評価で。実際の実力は2.4くらいだったけど、テストは強かった。
小田嶋 ちなみにオレは3.0。だからね、北大もまるで無理じゃなかったね、岡は(第4回『「受験」と「恋愛」と「デニーズ」と』参照)。
―― たとえ「おばさん」を「アリ」としても。
岡 いや、無理だった。
小田嶋 「おばさん」が当たっていたら、案外、間違って入った可能性もあるのよ、岡は。
岡 でもさ、自分でも分かるんだけど、僕の場合は試験の時だけごまかしているだけなんだよ。その時その時での好成績。
小田嶋 まあ、岡本人は北大に少し行く気で、でも、受かんなくてよかったよね、あの時。
9点、取れるものなら取ってみろ、と
岡 よかったのかな、あれで(笑)。受かっていたら、その時点で人生、かなり変わってたよ。
小田嶋 俺は北大を受けた時、数学の微分のこのマークね。
―― ああ、微分記号ですね(※)。
小田嶋 俺、初めて見たんですよ、あれ(笑)。試験から帰った後に「こういう、ほら、Sの長いやつみたいなのあったじゃない?」と、仲間内で話したら「お前、本当にそれ知らないの??」と言われて。
―― そうですよ、だって小石川高校なんでしょう?
小田嶋 もう数学は授業も出ていなかったしね。
岡 だてに9点じゃないんですよ。
小田嶋 うん、だてに9点じゃない。
岡 小石川って理科系色が強いから、理数系の勉強がめちゃくちゃ難しいんですよ。それでみんな「大学への数学」とかやってて。文系でも。

※編集部注:冷静な読者の方から「それは積分記号」とご指摘をいただきました。その通りです。「だてに9点ではない」ことがお分かりいただけたかと思います。というのは冗談ですが、「清野さん、あなたまで毒されてどうするんですか」とのお言葉も頂戴しました。しかしこの責任はもちろん、この間違いをまんまと見逃しておりました編集部にあります。ご指摘にお詫びと、御礼を申し上げます。

―― うわー嫌ですねえ。
岡 もうね、苦しかったよ、あれは。だからテストも、それほどやさしい問題は出ない。先生も気を使って簡単なのも出してたと小田嶋は言ってたけど、それだって基礎ができてなければ解けない。いつも0点になる恐怖って確かにあったね。
小田嶋 高校1年の時に初めて受けた試験が「じゃあ君たちもまあ、入ったばかりだから、中学の復習を出します」って教師が言う問題で、俺、30点だったんです。すんげえ難しいな、これじゃあ平均50点いってないだろうな、と思ったら「100点発表します」って、30人ぐらい名前がずらずらっと。
―― 本当に嫌な学校ですねえ。
小田嶋 俺はそれで、これはだめだ、と気持ち的に終わっちゃったんです。
岡 数学に関して。
小田嶋 数学に関してというか、学問全般に関して(笑)。高校生の虚栄心としては、一生懸命頑張って真ん中辺にいるというよりは、一切投げ出して一番下にくっついてる方が、かっこいいじゃないですか。そっちを選んじゃったんです。それに対して、岡はそこそこ各科目で、うまくやっていた。学校というのは、内申取るだけだったら、要領よくやっていれば何とかなったという部分があるけど、そのあたりはちゃんと点数取っていたよね。
ゲームの勝者、宴会で躓く
岡 内申の点数ね。あれね、効いたんだよ。おやじの会社が倒産した時(第5回『「体育祭」と「自己破産」と「男の子」と』参照)に、大学に奨学金の申請をしに行ったじゃない? その時に、やっぱり高校の成績が参考になるんだ。何が基準かって、高校の成績と入学試験の点数なの。それで、君は優秀だね、じゃあ奨学生ね、ということでセーフ。あれで小田嶋と一緒にひどい点取ってたら、もう(笑)。
小田嶋 じゃあ、無駄にならなかったんだ。
岡 無駄にならなかった。決して無駄にならなかった。
―― すごい。
岡 やっぱりゲームなんだよ。 中間テストも期末テストも。だから、何とかこう、少ない努力で勝つ方法を一生懸命考えてきた。それが効いた。
小田嶋 岡の、わりといろいろなものをぱっとゲーム的に解釈して楽しんじゃうという感覚って、当時の高校生としては珍しいよ。だからね、高校のクラスの中ではね、浮くのよ。あいつはねえ・・・・・・っていう感じが、すごくあったよね(笑)。
岡 それは、会社(電通)でも浮いてたよ、だから。
小田嶋 会社でも、あいつはねえっていう感じだったのか。
岡 やっぱり営業の時は、まったく適応できなかった。
小田嶋 昔、四ツ谷の飲み屋で隣り合ったやつに、電通のやつがいたの。電通ですか、電通なら岡康道というのが俺の同級生でいるんですけどって、俺が言ったら、「ああ、あの頭のいいヤツね」って(笑)。その言い方の冷たさで、あ、もしかしたら岡は会社で苦労しているんだろうか、と(笑)。
岡 それ、いつごろの話?
小田嶋 えーとね、30歳の手前ぐらいかな。
岡 実際、人間関係としてはうまく適応できなかったね。
―― 岡さんは、いかにも広告代理店に適応しそうな雰囲気ですが。
岡 クリエイティブの転局試験に受かった後からですよ、僕の会社生活がよくなったのは。ただ、クリエイティブといったって、広告というのはしょせん短い時間でしょう。15秒、30秒を面白く作り上げるというのが僕の身の丈で、小説を書いたり、映画を撮ったりするわけじゃない。だから、京都大学は突破できなかったし(笑)。
―― 京都大学は劇場映画だった、と。
岡 そうそう、長編劇場映画(笑)。だけど広告とか早稲田とかは、そうじゃないということぐらいは、分かっていましたけどね(笑)。
―― 中間試験クラス。
岡 そう、中間試験とか。だから、いくら高校時代の成績がよかったとはいったって、その程度の自分という感じはあるよね。
小田嶋 でも岡はやっぱり、やれることはやるんだよね。そこのところで、敗北の美学みたいなところにいかない。普通、高校生って安易にそこへ逃げ込むのよ。しかも、当時はそういう文化がすごく多かったでしょう。「あしたのジョー」にしても何にしても。あるいは「同棲時代」とか。
岡 そういうのもあったな。
岡青年がつかんだ、日本人の秘密
小田嶋 そうそう。「いいのさ、俺たちなんか」みたいなところ。でも、岡は勝つべき手はちゃんと打っておく。たとえ負けても、捨て石を布石ぐらいにはしておく、と、そのあたりが違う。
岡 でも何かやっぱり、世の中ってこう、自分が拍手をもって迎えられることがない、というのはあるね。クラスでも会社でも浮いていくというのは、どういうものなんだか。
小田嶋 俺が会社を辞めてぶらぶらしているころに、何かで岡と会った時にね、宴会の話をしきりにしていたよね。俺は日本人の秘密が分かったよ、って。何だ? って俺が聞いたら「宴会だよ」って。要するに、宴会に付いていけないことっていうのが、たぶんこいつが当時、突き当たっていた壁なんでしょう。
岡 まったく宴会がダメだった。80年代の最初のころの電通の営業というのは、ほぼ毎晩宴会なんだよ。
―― ホイチョイ(「気まぐれコンセプト」)で書かれているような世界ですか? 陰毛にムースを塗って火をつける、みたいな。
岡 そうそう。でも、それに対応できるふりをして入社しているし、対応できそうにも見られるし。
―― 見えますね。
岡 すごく無理すればできないことはないから、一見楽しそうに演技しちゃう。でももう、本当は、ものすごく傷付いていて。ただ、転職という文化もないでしょう、当時は。
―― そうですよね。
岡 会社を辞めるなんてあり得なかった。辞めることもできないし、行き詰まったねえ。
小田嶋 クラス対抗のリレーがあるよという時に、俺はアンカーは厭だ、2走(第2走者)なら走るよ、と言っちゃえるところが、こいつの一番のいいところだったわけです(第5回参照)。変に空気を読んで、じゃあ、俺はアンカーで頑張るよって、それでアンカーで走って、1人か2人に抜かれても、惜しかったな、という方がクラスの中では人気者になり得るわけ。でも、そっちじゃなくて、俺は2走でなきゃ嫌だ、と主張して、同時に条件闘争も行うというのがこいつなわけで(笑)。
岡 そうなんだよ。
小田嶋 一般の人は、条件を言ってくることにびっくりしちゃうわけですよ。えっ? と(笑)。
岡 でも、実際のクリエイティブというのは、わりとそういう世界だけどね。
ルールの解釈力こそ「クリエイティブ」
小田嶋 そりゃ分かるけど。走ってもいいけど条件があるって、そんな言い方、高校生がするか、普通? というのが一般的でしょう、普通は。
岡 今まで15秒のCMの最後の3秒が商品カットだったということが暗黙のルールだとしたら、待てよ、でもこれ最初に言っちゃえば、あとの12秒自由ってことか、と(笑)。あるいは、そんなに商品が大事なら、物語の中で商品名を3回言いましょう、と。3回も言うんだから、ストーリーは自由にやらせてくれみたいなこととかね。そういうことを言っても、クリエイティブの人たちは、まあしょうがないよなという目で周囲は見てくれたから、クリエイティブに移ってからは、非常に居心地はよかった。
小田嶋 クラスの中でも、俺は2走なら走るけど、という条件を出してきたりして、岡は一種浮いていたりしたけど、浮いているながらも、1つの、まあ、あいつはあいつだからっていう独自の位置でずっときていたわけですよ。でも、宴会なんていうところに行くと、もう絶対にそれはあり得ないでしょう。
岡 あり得ないですよ。
小田嶋 エゴとかない世界ですからね。
岡 ゼロだね。
小田嶋 全員が1つの人格に溶け込んでいくみたいな。
岡 しかも俺、酒飲まないからシラフじゃない? もう、とんでもないよ(笑)。つらくって、今も夢に見るぐらい。人生で一番つらかったことは何かというと、おやじが倒産して逃げたことじゃなくて、俺、あの営業の5年間だよ、明らかに。思い出したくもないもん。
クリエイティブ、ゼロ
―― 当時の電通の宴会ってどんなことをやっていたんですか。
岡 宴会? だからまず、飲んでしゃべるだけだったらいいですよね。でも、例えば料亭の場合。
―― 料亭の場合。
岡 全裸になって、オイルライターのオイルを湿らせたティッシュをおしりに刺すわけです(笑)。
―― 刺します。
岡 そして、それに火をつけるわけです。
―― 火を点けますね。
岡 火を点けると、熱いからものすごい速さで人は走るわけです。
―― 熱いから走ります。
岡 料亭の庭のこっちからあっちまで、ばーっと、こう走り抜けるわけですよ。あっちにはまた別に待機しているやつがいて、こっちに走ってくる。その芸を「ホタル」と呼ぶんです(笑)。
―― 頭、ぶっ壊れてます。
岡 頭、壊れてるでしょう。それからね、宴会の最中に、ぱっと横を見ると、何も着てないやつがいつの間にか座っている(笑)。その場合は、気付かれないように全裸にならなきゃいけない。まあ、失礼にならないように、ネクタイだけはしてろ、という(笑)。
―― クライアント側はそういうことはしないんですよね。
岡 当たり前じゃないですか。こっち側の営業の若いやつから順番にやるしかない。ということは、毎晩全裸だったみたいなヤツもいたね(笑)。
小田嶋 しかし、この大きい体でどんといると、迫力だっただろうね。
岡 そうだよ。やっぱり大きい方が面白いし、いじめたときに、みんなが楽しいでしょう。
小田嶋 その手の通過儀礼って体育会にもあるし、今のお笑いなんかでも、そうだよね。新人の芸人って、必ず恥ずかしい格好で出てくるでしょう。若い芸人が芸を見せるんじゃなくて、恥を見せるところから出発しなきゃいけないというルールがあったりしているじゃない? あれが本当、よくない影響を与えていると思いますよ。
岡 そうだよね。今はね、それはやっぱり、明らかにパワーハラスメントだから(笑)。90年代半ばぐらいから、それで本当に会社を辞めたりするやつが出てきた。こんなことされて黙ってられるか、みたいにきちんと反論する東大法学部卒のやつとかが出てきて(笑)。それで確か一応、禁止にはなってるのね、あれはもう。
小田嶋 一応は。
岡 ただ、やっぱりラグビー部出身のやつらとかは、やっぱりまだ全裸になってるらしいけど、それは自主的にということで(笑)。
―― 自主的に。
岡 自主的にという名の下で、誰にも命じられていない、脱ぎたいから脱ぐんだと(笑)。何かこうして話してると、ちょっと面白そうだけど、狂ってますよ。何も楽しくないもん。やっぱりそれは、緊張──心が誰とも通じてない集団の中で、そんなバカなことを毎晩しなくちゃいけないっていう苦しみがある。
小田嶋 それは壊れるよ。
岡 壊れるでしょう。だから、僕は宴席より業務をしてる方が楽しかった。請求書でも伝票書きでも何でも、そっちの方がよかった。
京都、酒と薔薇の日々
―― 小田嶋さんも会社勤めしていたころは、営業だったんですか。
小田嶋 でも俺はね、実質働いていないからね。
―― さらっと。
小田嶋 俺、新入社員になって、大阪に赴任して4日目に足を折ってね、入院して、4カ月休んでたんです。
岡 いきなり。
小田嶋 4カ月も本当はかからなかったんだけど。入院したのは大阪で、そこで2週間入院した後、誰も見舞いに来ないし、寂しいから、東京に転院して、そっちでもう2週間入院して、あとは大阪の下宿に戻って、そこを根城に関西観光をしてたんですよ(笑)。そうしたらそれが会社にバレて、小田嶋はいつまでたっても出社してこないけど、どうしたんだっていうことになって。会社の人が実家に電話してみたら、実家のおふくろが、あれ? もうふた月前に大阪に行っていますよって(笑)。
岡 ははは。
小田嶋 休職手当てをもらいながら、カマカミを連れて、遊んでいたんだよね。あいつがまだ大学3年生だったんだよな、3浪か何かで。
岡 カマカミ?
小田嶋 カマカミ。3浪2留か何かしてたやつ。
岡 アイツはどうしようもないな(笑)。
小田嶋 そいつと2人で、今日は神戸、あすは京都ってしていたら、バレちゃったの。それで、すみませんでした、って会社に出て、それから1カ月ぐらい出て辞めちゃったから、ほとんど何もしてない(笑)。
―― 本当に何もしてないですね。
小田嶋 最悪だったです、だから。
岡 でもお前、宴会で「君が代」を歌ったんだろう。
小田嶋 そうそう、それも最悪だった。宴会があって、新入社員は全員カラオケで歌え、みたいなこと。それはしょうがないんだけど、僕、部長が嫌いだったんですよ。部長ってキリスト教徒でね、賛美歌を歌うようなやつなんですよ。
岡 ・・・・・・。
小田嶋 部長からは賛美歌をかまされて、ほかのやつらからは「再会」とか聞かされて、お前は何だっていうことになる。じゃあ「君が代」しかないかな、と思って、「君が代」を無伴奏でやらせていただきますと言って。
思わず部長さんに同情したくなる
岡 すごいよ、それ。
小田嶋 特別な歌ですので、全員ご起立くださいって(笑)。
岡 まあ、辞めてなくてもクビだわな、それはもう(笑)。
小田嶋 そうしたら、立たないわけよ、部長が。俺もちょっと酔っぱらってるから意地になって、「1名、お願いしてもご起立されていない方がいらっしゃるんですが、ぜひお願いいたします」とからんで。それで空気がすっかり壊れて、部長が座ったままの中で、俺は「君が代」を最後まで一生懸命歌って。イヤーな空気で(笑)。
岡 俺、それ聞いた時、驚いたもん。
小田嶋 まあ、でも、辞めるつもりだったからやれた(笑)。この会社で一生やっていこうと思ったらね、やっぱり「いとしのエリー」ぐらいでね、ごまかしていたよね。

2007年11月1日木曜日

偽造が簡単な硬貨と金券

ほほう、という感じ。
たしかに甘く考えているかも。
不用意に信じている、ともいえるか。。。

こんな時代であってもなお、
政府・国家を信じ、依存してしまいますからね。
骨身にしみこんだ「教育」とは大したものです。

ほとんど洗脳に近いもんなぁ。

「赤福」事件は厚労省が何とかするべきと思ったでしょ?
そういう論調は多いし。
でも、あれは厚労省の問題ではなく、株主の問題だわね。

ついついガバナンスの押し付け先を政府に求めるのは
日本人の悲しい性だよなぁ。
政府なんて裏切るものだと見せ付けられても
なお信じてしまうし、依存しちゃうのだよね。。。

国家にコーポレートガバナンスはいまいち非現実。
でも通貨発行権は今のところ国家に依存しているので、
こんな記事になるんだわね。

これを解決するためには。政府の施策を管理しないといけなくなり、
オンブズマン制度なd、正義感あふれる人たちはいるけど、
監視機構を監視する監視システムという無用な重層構造を生み出し、
その結論は行き着くところのない螺旋階段。

そうではなく、小さな政府が最終監視機能だけを持ち、
その下はできる限りオープンにする以外の論理帰結はないわけで。

でもこの議論は、国家とは何か、政府とは何か、
という根本にかかわり、複雑化するのだよね。
カレンシーの切れ目が国家の切れ目、
というのは資本主義化においては正しい。

近代政府は人間だったはずだけどね。。
生産力の切れ目として。

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偽造が簡単な硬貨と金券 (松村テクノロジー社長 松村喜秀氏)2007年10月1日
これまで何度か偽造500円玉の話をしてきたが、硬貨ほど偽造しやすい通貨はない。このことは何度でも指摘しておきたい。

500円硬貨は1982年に500円紙幣の代わりとして登場した。これが旧500円硬貨である。広く流通している硬貨としては世界で最も価値の高い硬貨だ。一方、韓国の500ウォン硬貨は、日本円で価値は50円程度しかない。だが、大きさと重さはほぼ等しい。



この500ウォン硬貨が500円硬貨に変造されたのだ。旧500円硬貨より少し重かったため、ドリルで削り、重さを調整した変造500ウォン硬貨が大量に日本に持ち込まれ、全国の自動販売機や両替機で使用された。

99年には富山県で犯人が逮捕され、2000枚も押収された。

ちょうど同じ年、ある数人のアジア系外国人がわたしの元に大量の旧500円硬貨を持ってきたことがあった。そのうちの一人が「これは偽造品であることは間違いないが、どこが本物と違うのか鑑定してくれ」という。

旧500円硬貨は側面に「NIPPON」と小さな字で刻まれており、造幣局は簡単には偽造できない高度な技術と誇っていた。

ところが、一目見ただけでは、本物と全く変わりない。ルーペで表面を見ても異常はない。表面を削って素材や削りカスを確認しても違いは分からなかった。

さらに、詳しく調べ続けた。すると、裏面に微妙な加工のズレを見つけた。さらに、造幣局が誇っていた側面の「NIPPON」の刻み文字の一部にもわずかな傾きがあった。

それは非常に精巧な偽造硬貨だった。しかし、わたしは持ち込んだ外国人に違いを教えなかった。彼らが、自分たちの作った偽物の精度を確認するために来たのではないかと思ったからだ。

「鑑定料代わりに、1枚くれないか」と聞くと、彼らは「とんでもない」とばかりにわたしから500円硬貨をひったくって、帰って行った。

自慢の新500円硬貨も大量偽造


変造や偽造硬貨の出現にあわてた政府は2000年にデザインや素材を一新した新500円硬貨を発行した。

新500円硬貨の偽造防止策は念入りで、見る角度によって数字などが見え隠れする「潜像加工」、大量生産貨幣では世界初の側面の「斜めギザ」、また「微細点加工」「微細線加工」も施し、材料も白銅から特殊な合金のニッケル黄銅製に変えた。

ところが、2005年2月、東京・福岡・熊本の郵便局で大量の偽造新500円硬貨が登場した。大きさ、重さはもちろんのこと、材質も本物とほぼ同じで、通貨当局はショックだったようだ。

自慢の潜像や、斜めギザなどの加工までは簡単に真似できなかったようだが、自動販売機やATMなどは一般的に大きさ、重さ、材質の電気抵抗によって識別しているので、デザインや表面加工の精度にかかわらず、大きさ、重さ、材質が同じならば通してしまう。

偽札を作るのは大変だが、それに比べて偽コインは簡単だ。連番を振る必要もないので、型が出来ればいくらでも作ることができる。

日本人にとっては500円玉1個は大したことがないかもしれないが、海外ではそれ1枚で1週間も生活できる地域がある。

今後、さらに偽造500円硬貨が出回る可能性があるのだから、それを防ぐためにも500円紙幣に戻すべきだろう。

安易に金券を発行するな


高速道路の回数券は1枚700円という値段にもかかわらず、なぜあれほどいい加減な作りなのかとずっと思っていた。日本人は偽造の危険性に関して驚くほど認識が甘い。1枚700円分もの価値がある金券の偽造が簡単にできることを犯罪者たちが見逃すわけがないからだ。

案の定、2004年に約480万枚、額面総額40億円という巨額の高速道路回数券を偽造していたグループが摘発された。そのとき、既に約350万枚(約25億円)が金券ショップや運送会社に販売されていたというのだから、それに気付かなかった当時の道路公団の間抜けぶりにもあきれる。

逮捕されたのは暴力団と都内の印刷業者や製版業者の社長ら13人で、暴力団に脅されて自分たちの印刷技術を発揮してしまったようだ。その精度は偽造だと分からないほどというが、もともと回数券が大した品質精度でないのだから、日本の印刷技術をもってすれば簡単にできたはずだ。

偽造する側がもちろん一番悪いが、簡単に偽造できるような金券を発行する側も悪い。しかも、その偽造回数券が流通していてもチェックできないような体質が問題だ。

ハイウェイカードも偽造が相次ぎ、日本道路公団自ら2004年に被害総額は250億円規模と発表している。

既に回数券もハイウェイカードも使えなくなったが、それまで放置して犯罪グループや暴力団の資金源となり、我々の税金の無駄遣いになったことは恥ずべき話である。

安易に金券は発行すべきではない。
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