2007年9月20日木曜日

ANA国際線 - 羽田-上海(虹橋)線新規就航

ANA国際線 - 羽田-上海(虹橋)線新規就航


いやはや、上海まで日帰り可能ですか。。。
便利になるというのもいいような悪いような。。

こんな時間にBlog書いている身分なので、
少しは手加減してほしい、って感じですね。

海外出張にいったときは
けーたいもめーるもだめよーーん
と遊びに行くものと思ってたんだが、
地球上、だんだん逃げ場がなくなってきますな。。

2007年9月6日木曜日

能天気でナイーブだから強い人たち

この単純さ、ナイーブさが徹底しているところがアメリカの強さだなぁ。
やるといったら徹底的にやるし、やめるなら簡単にやめる。
それだけやっていれば大威張り。だめならすぐ変える。
こんなふうにして割と簡単に幸福感を得られるので「強い」のだ。
プリウスに乗っていれば、ごみの分別なんかしなくて平気、
前者は生活必需品だけど、後者は無限の国土があるからね。
そういう単純さに基づく行動原理を理解しないと、いろいろと見間違える。
でも理解に苦しむのは、難しく考えすぎ、なんだろうなぁ。


[MLB Column from East] 新人のノーヒット・ノーランを潰そうとした「投球数警察」

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新人のノーヒット・ノーランを潰そうとした「投球数警察」

李啓充=文|text by Kaechoong Lee
2007年9月5日
9月1日、レッドソックスの新人、クレイ・バックホルツ(23歳)が、メジャー登板わずか2試合目の対オリオールズ戦でノーヒット・ノーランを達成した。カーブ、チェンジアップを完璧にコントロール、ボールが先行したカウントからでも変化球で厳しいコースを突くことで、オリオールズの打者を翻弄し続けた。

実は、「どんなカウントであろうと、いろいろな球種をコントロールよく決めることができる」投球というのは、松坂大輔入団に際して、レッドソックスのフロントが喧伝した「持ち味」のはずだった。ところが、今季の松坂はコントロールが今ひとつ定まらず、私に言わせれば、いまだ「本来」の投球を披露するにいたっていない。バックホルツのノーヒット・ノーラン達成を見ながら、本当なら松坂が見せてくれるはずだった投球を、バックホルツに見せつけられているような気がしてならなかった。

ところで、今回のノーヒット・ノーラン、翻弄され続けたオリオールズの打線が達成を阻む可能性よりも、「pitch-count police(投球数警察)」が睨みを利かす、レッドソックスの首脳陣が阻む可能性の方がはるかに大きかったので説明しよう。

読者もよくご存じのように、現在のメジャーでは、投手の「投球過多」を防止することに、どのチームも非常に神経質になっている。どんな試合展開であっても、先発投手の投球数が100を超える辺りから交代のタイミングを考えるのが普通であるし、「quality start(良質な先発:6イニング以上投げた上で、自責点を3点以内に抑えること)」を達成すれば、先発投手の責任は果たされたとみなされることになっている(ちなみに、松坂の場合、quality start 17試合は、ア・リーグ11位だが、quality start 達成率は63%にとどまり、3試合に1試合以上は責任を果たしていない結果となっている。なお、数字は9月2日現在)。

チームが投球過多に神経質になるのも、「投球過多になるほど故障の頻度が増える」というデータが存在するからに他ならないが、巨額の年俸を払っている投手に故障されてしまっては、それこそ、元も子もない。チームを経営する立場からすれば、投球過多を防ぐことには「資産を保全する」意味があるだけに、真剣にならざるを得ないのである。

話をバックホルツのノーヒット・ノーランに戻すが、バックホルツはレッドソックスでも一番将来を嘱望されている投手であり、その「資産価値」は計り知れない。マイナーでも投球過多を防ぎながら「大切」に育ててきただけに、これまで1試合の投球数は98球が最高だった。いくらノーヒット・ノーラン達成がかかっているとはいえ、100球を超える「未知の領域」に踏み込むことは、フロントとすれば「故障で資産を失う」リスクを冒すことを意味した。

試合中、GMのブライアン・エプスタインと監督のテリー・フランコーナの間で、バックホルツの投球過多「取り締まり」を巡る話し合いが何度か行われた。8回終了時、バックホルツの投球数は103球に達していたが、エプスタインは「責任は自分が負う。たとえ、あと一人でノーヒット・ノーラン達成という場面でも、投球数が120を超えていたら交代」と、フランコーナに厳命したという。幸い、バックホルツは115球でノーヒット・ノーランを達成、フランコーナは、「ノーヒット・ノーラン達成直前の投手を交代させる」という、これ以上はない「憎まれ役」を演ずる運命から逃れることができたのだった。

試合後、フランコーナは「投手交代になった場合、マウンドに行く役は、ベンチ・コーチのブラッド・ミルズか、エプスタインに押しつけるつもりだった」と語ったが、ファンの反発の強さを考えれば当然だろう。「誰がマウンドに行ったにせよ、縛り首の縄を首に巻いて帰ってくることになっただろう」とは、ノーヒット・ノーラン投手の女房役を務めるのは今回が3度目という、ジェイソン・バリテク捕手の科白である。

2007年9月4日火曜日

2007年2月1日木曜日

お引越し

いままでのBlogはこちらにおいてあります。
http://yosh-diary-ong.blogspot.com/

いつまであるのかは不明です。。
すでにおいらには触れないです(笑)

代理出産は認めるべき、か?

野田聖子様である。

いわずと知れた、造反復党組のお方である。

かつては、
日本初の女性総理に一番近い存在と
もてはやされていた岐阜選出の代議士。

小泉さんのおかげで、すっかり総理は遠くなりましたかね?

いまやすっかり、マリー=アントワネット=ユカリタンの
天敵・ライバルとして同一視されて、
その相乗効果ですっかり2ちゃんねるのネタですからね。

少なくとも「所得が無いなら株を買えば?」を超えるほどの
楽しい話題は提供してくれないですが、
ちょこっと最近の代理出産周りでの発言が気になります。

そもそも、
政治家が個人的な体験に基づいて、政策を云々する
というのは良いのかなぁ、という違和感が否めないです。

そういうものなんでしょうか?

それって「代」議士の発言ではないですよね?
政治家の前に個人である、というのは理解できなくも無いですが、
でも、それで政治判断を行っているように思えてならない。

プロレスラーの嫁であるタレントが
涙ながらに訴えるのとは次元が違う問題である。

しかも、追い風となるように、少子化対策である。
公私混同ではないのかなぁ。

ちなみに、僕は個人的に代理出産には懐疑的である。

そこまで精子と卵子にこだわってどうする?

と思えてならない。

ちょこっと考えればわかることで、
非常に簡単に、危険な優生思想につながる。

代理出産にこだわるってコトは、
遺伝子にこだわることで、
それはすなわち、育ちより生まれを優先する、
というコト以外何者でもない。

優生思想そのものである。

ちなみに向井亜紀に至っては、
「この人の遺伝子を遺していきたい」
である。何をかいわんやである。
なら、愛人を認めて子供を産ませてやれば良いじゃん、
というふうにはならないですわね。(笑)

われわれはなかなか、近代ロマンティズムから逃れられない。

でも、性行為が無ければ他の女に産ませてもよい、
のであれば、側室制度と何が違うのか?
男性であるおいらにはいまひとつ理解できない。

逆の立場になってみよう。

「他の男性の精子を使って、自分の妻が妊娠する」

という事態を冷静に受け入れられるだろうか??
きっと認めがたいことでしょう。

だからといって、女性の「産む権利」を侵害するのは
それはそれで悩ましい問題になる。
自身に精子が無い場合、女性の「産む権利」を
自分の都合で制限することはできないかもしれない。

その場合に、性行為を前提とするよりはまだまし、
なんだろうか?いやはや、どうでしょう???

それならば、むしろ、過去からの仕組みである
養子縁組を実施してはいけないのか?
マドンナだって、国際問題 にしてまで実施している。
  #ま、多民族国家アメリカなので。。
これは否定しづらいんですね、実は。
すんなり受け入れられないんであれば、
自分の中の差別に気がついて、ちょっと凹みますね。

しかし一方で、生殖技術や代理母をプラグマティックに認めるという
リンク中の野田様の発言を見る限り、やはり「?」である。

上記のとおり、まず、優生思想へのリスクの高い接続とともに、
「産まない権利」は認めないんですかね?

さらに「産めない」差別はきっと加速していきますよね?
養子という立場もやはり、被差別な立場なので、
きっともっと肩身が狭いことになること請け合いである。

ただでさえ苦しんでいる人々をこれ以上追い詰めてどうするの?

という気がしてならない。

これって、なんだか、男女雇用機会均等法をめぐる女性内対立を
再生産するロジックに似ている。

しかも、弱者側は一方的に打たれるしかないのかね?

「できるものは許可すりゃいいじゃん」と
政治家にあるまじきナイーブな発言はいかがなものでしょうかね?

ちなみに、私個人は、技術がプロセスを代用する、ことについては
一般的に賛成なほうです。
とくに、困っている人がいて、技術がその人を支援するなら、
ぜひやるべきです。

しかし、代用するプロセスの背景には、
非常に複雑な社会的なコンテクストが存在することを、
政治家たるもの理解した上で発言するべきだと思いますね。

そう考えた場合、冷静さと客観性を担保するためには、
政治家が政策を考えるにあたっては、
個人の経験に根ざした問題については、
できる限り距離をおいて接するべきではないかと思うわけです。

代議士は選挙区のために仕事をするべきであって、
個人のために仕事をしてはいかんよね、
これってある意味、職権乱用ではないかな、と思って、
この記事に違和感があるんだなと帰着したわけです。

でも一方で、庶民感覚が無いのも困るし、
政治家って難しい商売ですね。