2008年3月20日木曜日

きみが天才を演じるならば、天才になるのだ

サルバドール・ダリが自分の手記に残した言葉
「サルバドールよ、きみが天才を演じるならば、天才になるのだ」
なかなかの至言。けっこう感動

天才とは所詮誰かの評価に基づくもの。
天才と認められて人は天才になる。
天才とはどういうものか、という定義があってこそ、僕たちは天才になれる。
逆に言うと、天才とはその程度のものでしかないのかもしれない。
天才と馬鹿は紙一重。
その言葉の的確さを改めて知る感じ。
そこに戦略性がなければ天才にはなれないのか。

天才を意図的に目指すということは、意外と簡単にいけそうに感じる。
しかし、そもそもの才能がない僕たち凡人は、せいぜいが変人と呼ばれて人を挑発するくらいしかできない。
そういう意味では、天才と呼ばれるフィールドはかなり狭い概念で、「才能がある人のうち、意図的に天子と呼ばれたいと考える人」となるのか。

いやはや、天才とは難しい。
なぜなら意外と俗物性を残すことが必要になるからである。。

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