2009年7月15日水曜日

日本で働く外国人のキャリア戦略を紹介するコラム

さて、ビジネスのグローバル化が進む中、外国人のビジネスパーソンと同じ職場で働くのは、珍しいことではなくなりました。「職場の隣の席が外国人です」という人もいるかもしれませんね。

新しく始まったコラム「日本ではたらく外国人」では、タイトルの通り、日本ではたらく外国人のビジネスパーソンを取材し、その仕事観やライフスタイルに迫ります。国境を越えて活躍するための姿勢とは…? 詳しくは、ぜひ以下の記事をご覧ください。

▼日本ではたらく外国人
仕事が面白いのは「儲かった時」です
【1】スマジェンヌィ・イーハルさん(双日勤務・ベラルーシ出身)

http://www.nikkeibp.co.jp/article/nba/20090625/163068/?ml1

   ビジネスはグローバル化している。競争が厳しくなる中、工場だけでなくホワイトカラーの仕事でさえ、より賃金の安い国に流出するようになった。その一方で、優秀な人材は国境を越えてやりがいのある、報酬の高い仕事を求めて移動している。あなたのライバルは、もはや「隣に座る日本人の同僚」だけではない。「海の向こうにいる外国のビジネスパーソン」との競争が始まっているのだ。

 実際、日本で働く外国人のビジネスパーソンは着実に増えている。法務省の調べによれば、日本企業などへの就職を目的とした外国人へのビザ交付件数は、2002年に1万942人だったが、2007年には2万2792件と5年で倍増した。年齢別に見ると、20代が7割、30代が2割を占めており、大半がアソシエ世代の若手ビジネスパーソンであることが分かる。

 グローバル企業の代表格、トヨタ自動車では、日本国内のオフィス(工場以外の職場)で働く外国人従業員の数が、1998年には24人だったが、2008年には60人と10年で約3倍に増えている。

 海外から日本国内に優秀なビジネスパーソンがどんどん入ってきている。そんな中でアソシエ世代が生き残り、キャリアアップしていくためにはどんな能力を身につけたらよいのか。

 本連載では、日本で働く外国のビジネスパーソンを紹介する。彼らの仕事観やライフスタイルから、国境を越えて活躍するための姿勢を学ぶことができる。今後20年間を生き抜くカギは語学力だけでないことが分かるはずだ。
「日本人の若手よりもギャップを感じない」
 スマジェンヌィ・イーハルさんは総合商社の双日で自動車の販売部門で働いている。日本の自動車メーカーと現地の販売会社の間に立って、注文を取ったり商品の船積を手配したりするのが彼の仕事だ。担当地域は、旧ソビエト連邦のアゼルバイジャン、中東のトルコ、ヨーロッパ北部のアイスランド、ノルウェーと広範囲に及ぶ。担当地域の売上高は年間100億円以上と大きい。

 スマジェンヌィさんが双日を知ったのは2年前のこと。当時、北海道大学大学院経済学研究科の博士課程に在籍していた。札幌で開催されていた双日の就職セミナーに偶然、参加し、総合商社という日本にしかない珍しい業態に興味を持った。「製造にもサービスにも関われるのが面白い」と言う。

 札幌でのセミナーからわずか2カ月後に入社し東京で働くようになった。スマジェンヌィさんの能力と双日が求めていた人材像が一致したためだ。スマジェンヌィさんは旧ソ連の市場に明るく、日本語が流暢で、大学院で学んだ経済の知識もある。

 ところで、日本の大企業で働く外国のビジネスパーソンの中には、文化や習慣の違いに阻まれ、能力をうまく発揮できない人もいる。数年前、大手自動車メーカーで働いていた中国人女性に話を聞くと、上司とのコミュニケーションに問題を抱えていた。


スマジェンヌィ・イーハルさん
1978年生まれ。ベラルーシ出身。ベラルーシ国際投資庁で働いた後、2001年に来日した。北海道大学大学院経済学研究科博士課程終了後、2007年に双日に入社。現在、同社自動車本部・自動車第二部・第三課に所属する(撮影/鈴木愛子)
 例えば彼女は「会社に残業代を負担させたら申し訳ない」と考えて、終業時刻になるとすぐに帰宅し、仕事を自宅に持ち帰っていた。事情を知らない上司からは「残業拒否のやる気のない人」と誤解されていた。営業成績は抜群だったが、上司の評価が低く、本人は力を生かしきれずにいた。

 しかし、スマジェンヌィさんの場合はこのような異文化適応の問題はなかったようだ。上司の高橋達雄さんは「言葉や文化のギャップを全く感じないから、『外国人』と意識することはない。スマジェンヌィさんより、日本人の若手と話す時の方が世代間ギャップを感じるかもしれない」と話す。

 日本企業にすんなりと溶け込めた理由は、スマジェンヌィさんの語学力とコミュニケーション力のおかげだ。インタビューは日本語で行ったが、日本のビジネスパーソンに話を聞く時と全く変わらなかった。込み入った質問にも、意図を的確にとらえた答えが返ってきた。

 語学力に加え「許容範囲が広い」(高橋さん)ことも、スマジェンヌィさんの強みだ。日本企業の仕事のやり方をまず理解し、それに合わせようとする柔軟な姿勢が感じられた。「みんなで仲良く働けることが大事だと思う」という言葉に、チームワークを重視する日本企業と通じる価値観が読み取れる。

 スマジェンヌィさんが日本に関心を持ったのは、母親の影響だった。自宅には葛飾北斎の版画があり、テレビで黒沢明の映画を見るなど、日本文化に親しんだ。電子科学の技術者だった母を通じて、日本のテクノロジーについて聞かされたという。旧ソ連が崩壊した後は、日本の電気製品がベラルーシに入ってきた。学生時代はチェルノブイリ原発事故の被害にあった子どもたちを日本に招くプロジェクトに参加、ボランティアで通訳や子どもの引率を引き受けた。その後、日本の文部科学省のプログラムで留学、北海道大学の修士課程に入学している。

一番の能力は「みんなと仲良くする」力
 幼少期から日本文化に親しみ、日本の大学院で学び、言葉や文化への理解も万全で…スマジェンヌィさんのような人は、日本ではたらく外国人の完成型といえそうだ。

 日本のビジネスパーソンがスマジェンヌィさんから学べることは、2つある。第一に、語学を学習する際のゴールの設定方法だ。スマジェンヌィさんの場合、日本の商社が、ロシア語圏の市場を熟知した人材を求めていたため、日本語力が生きたといえる。これを日本人に当てはめれば、自分がやりたい仕事の分野で求められる外国語はどこの国の言葉で、どのレベルに達したらそれが仕事に役立つかを考える必要がある。

 日本にも「グローバルな人材」を目指す人はいるが、英会話学校に通うだけで満足してしまい、仕事には役立っていない人もいる。高いレッスン料を払って英会話を習い、TOEICを数十点上げることに、自己満足以上の意味はあるのか、その勉強は本当に仕事に役に立つのか、真剣に考えた方がいいだろう。

 第二に柔軟な姿勢。言い換えれば「仕事を楽しむこと」である。実はスマジェンヌィさんは、祖国ベラルーシでは水泳の代表選手であり、北大に来る前は政府の機関で働いていた。文武両道の国を背負って立つリーダー的な存在だったのである。

 輝かしい経歴から「俺は皆とは違う」という意識を持ってもおかしくない。けれども、エリート意識は微塵も感じさせない。昼食には愛妻弁当を持参する。仕事で喜びを感じるのは、自分が担当している自動車の取引で「儲かった時です」と言う。日々の仕事を素朴に楽しんでいる様子が伝わってくる。

 ロシア語、英語、日本と三カ国語を操り、経済学博士号も持つ若きエリートのスマジェンヌィさん。実はいちばん大きなスキルは、「みんなと仲良くやっていく能力」のように思えた。

学ぶポイント:
能力を生かせて、カルチャーの合う職場を見つける
高い能力があっても、仕事で求められるスキルと合わなければ宝の持ち腐れになる。自分が持っている能力を生かせる職場を見つけることが大切だ。さらに、自分の価値観と合う職場であることも欠かせない。商社マンの仕事はきついため、日本人であっても、必ずしも皆がこなせるわけではない。スマジェンヌィさんの場合、もともと持っていた文化的関心や体力など、総合的に見て、日本の商社という職場が合っていた。たとえ外国で働くことになっても、自分の価値観と社風が合えば楽しく働けるのだ。

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