2008年10月20日月曜日

僧侶が組合員であるという違和感

組合側の再審査申し立てを棄却/高野山真言宗・金剛峯寺事件で中労委

宗教法人高野山真言宗及び金剛峯寺に勤務し、管理職ユニオン・関西に
所属する組合員の僧侶が、住職の選任をめぐる紛議調整申し立ての手続き
が開始されないのは不当労働行為だなどと主張して救済を申し立てた事件
で、中央労働委員会は16日命令書を交付した。同法人が手続を開始しない
のは、僧侶の組合加入を理由にしたものとは認められないとの判断などを
示し、組合側からの再審査申し立てを棄却した。
http://www.mhlw.go.jp/churoi/houdou/futou/shiryo-01-295.html

職員ならともかく、僧侶が組合員であるというのはいかがなものかしらん。
そりゃたしかにそうなのかなぁ、組織の構成員ではあるので。
でも勤務時間とか言い出したらどうするんだろう?
なんだかばかばかしい話である。修行は勤務か?
誰かにやらされる宗教などやめてしまうに限る。
労働基準法の対象は「やらされてしまう」ことにある。
宗教の構成員といわゆる企業の構成員は本来そこが違うはず。
そんなこともわからんちんの僧侶が住職に選任されないのは、まぁしかるべき措置といえるのでは?
そんなビジネスライクな坊主の経は聞きたくないしね。
馘にする権利も寺側には無いかもしれないので、そうしたら何をかいわんやである。
あ、破門するという方法はあるのか。
でもそれって企業が解雇するよりも致命的な感じがするなぁ。
だから掘り下げないんだろうけど。

なんというか、特権地位を自分で下げていくような行動はいかがなものか?
特権地位が維持されない=ふつーのサービス業に陥った瞬間にかなりの痛手をこうむるという自覚はあるのだろうか?
組合の意向もまったくわからないなぁ。
宗教とビジネスのロジックは最初から異なるべきであって、そんな僧侶をメンバに参加させた時点で組合の品位が疑われるという自覚も無いのかしらん。
なんだか、権利だけを声高に主張する不幸を目の当たりにしたようで違和感しかない感じ。

0 件のコメント: